コンプレックスとブロガーのジレンマ

公開責任と面白さとの背反

まぁ、仕方ないのですが。こっそり言っているつもりでも、人がたくさん来れば色々問題が出てくるわけで。いや、何かあったわけではないのですが。将来的な話としてもですね。

なかなか、大変ですな。コントロールできないというのがなんとも。

ある程度、一般的に間違っているように見える面白いことを言うには、自分色を薄めなければいけないし、それとは逆に自分というものを出そうとすれば、変なことを言えなくなる。困ったもんだ。

自分色消してやるかなぁ。でもそうすると、自分が面白くない(現実とリンクが無い)んだよなぁ。細々とやるんだったら両立可能なんだけど。交通量が多くなるとそうも行かない。そろそろ運営方針決めないとなぁ。

こうしてくれたらいいと思うような意見がありましたら、コメント下さいな。ほかの人はどうやってるんだろうなぁ。

(書き足し:あーそーか。自分の思考の研究場所にするか。ただ、エントリー単体の質は下がるだろうけど。でも、ブログ全体としては、質が上がることになるかな。

とまぁ、そんなことを書いてもちっとも面白くないので別のことも書こうかと。

あと、エントリーひとつ消しました。まぁ、反応無かったしいいかと。自分を強く出しすぎるのも、自分が削れるなぁと。もっと、文章の書き方考えるか。

あと、文章にして書くことで自分の勘違いとか知らなかったことがわかるなぁと。間違えたこと書いたってほとんどの人は、まちがってんなーと生暖かい目でみてくれるんだろうけど。正直恥ずかしいですな。恥ずべきことでないとしても。

自分の感情とコンプレックス

前回のエントリーで「グーグルとヤフーのシェアと無意味な憤り」というものを書いた。読んで頂ければわかるが、グーグルとヤフーのシェアは、どうでもいい。自分は、この質問を読んで、よくわからない感情を見つけて、それを感じることができたというエントリーだ。

ようは、自分が今まで溜まっていた感情を、外側に放出することで、感情的内圧を下げたという話だ。まぁ、簡単ではあるんだけどコンプレックスだったのだろう。別に今は「変える」ということに対しておおらかというか推奨される場所にいるので、現状不満は無い。あれは過去のものだ。

しかし、自分は感じていなかった。不満がありながら、不満を出していなかった。感情を感じることを認めていなかった。まぁ、感じていない訳ではないが、はけ口が無かったのだろう。それをあの質問が思い出させてくれた。

そして、感情をぶちまけて、すっきりという話。感情論。よく眠れる。それだけだ。

周りの人に言わせると、自分は特定の感情を表すのが下手とのことだ。怒りとか敵意とか。まぁ、確かに抑圧されてるかもしれん。爆発すると、もう修復不可能のところまで振り切れてしまう。といっても、めったにないが。

コンプレックスは自分の感情を監視していれば大体気がつく。「無性に〜したくなった」とか「急に怒りを感じた」とかそんな部分があなたのコンプレックス。間違いない。ただ、原因まで探ろうとすると、まさに複雑であるためになかなか一人で抜け出すのが大変だ。

そういうときには、ほかの人の視点があるとずいぶん楽だ。自分もいつもお世話になっております。

そんな感じですね。

あー消した記事とか

そうそう、思い出した。消した記事。あれは認識論ですね。物理法則とかじゃなく。あの認識法を使うと、非常にネットワーク化しやすいという話でして。便利です。1を聞いて10を知るとか、普通にできますね。

なんというか、科学技術が高度化細分化しすぎて、一人ですべてを把握できなくなってきたと思うのですが、それは確かにそうではあるんだけど、その細分化した中にも、マクロな視点で見た中にも同じような法則があって、それを知ることができるとすごくわかり易い。それなんです。

だから、ミクロとマクロを共通視して、一通り見てしまうと8割くらいまで、レイヤー間の法則って同じなんですよ。あとはちょっとした個性程度。言いたかったのはそういうことです。

また、もう少し経ったら同じこと書くかもしれませんが。というか全部同じことしか言ってませんけどね。全部それ。