心の材料力学

これはひどく自分の感覚的なお話だから、一般化できないのかもしれないけれど。

心は質量をもち、硬度、材質、色、形などのさまざまな値がある

自分が認識する「心」とはひどく物質的だ。材料工学的といってもいいかもしれない。それは、一定の自分との接触によって、測定観察(といっても適当に話するとかそんなレベル)され、自分の中で一定以上を超えるとそれはイメージとなって認識される。

心は物質と同じだ。それが耐えられる以上の荷重をかければ、折れるし、曲がるし、へこむ。硬いものをぶつければ、そこがへこむし。硬さと靭性(粘りづよさ)はトレードオフされる。そもそも、一人の心だって、合金じみたものもあれば、モザイクのように複合体である場合も、スライムのようにゲル状だったりする場合もある。表面が硬いけど中がやわらかかったり、逆だったりすることはよくある。

心の脆弱性

心はそんなに完璧無敵鉄壁平気なものは、そうそうお目に掛かれない。硬さが強いといっても、ダイヤモンドだって衝撃には弱い。形の不定であるものは、衝撃には強いが、分裂させたりするのが容易。鋼のように硬さと靭性(粘りづよさ)を持った心が量産できれば、心理革命がおきて、鉄の心の時代がやってくるかもしれない。

というわけで、誰でも弱点といえるような部分がどこかにしら存在する。ソーシャルハッカーさんは実にうまいことにその部分を利用するのだろう。おそらく感覚的なものなのだろうけれど、イメージとして具体的に可視化できることは強い。自分とかは人間関係は、言語感覚ではなく、イメージとしてシミュレーションするほうが楽だ。ただ、ものすごくサンプリング(資料集め=その人のことを知る)しないといけないので、ぜんぜん使えないけれど。

その結果として出てきたものは、そんなに間違ってはいない。過程としては説明がしにくいけれど。感覚的なもの。その材料工学的なイメージからの発展で、さらに「材料心理学」を進めてみよう。

壊し屋〜ソーシャルクラッカー〜の目指すもの

あんまりそんな人はいないけれど、いないわけではない存在。壊し屋(ソーシャルクラッカー)、関係性を壊したり、心理的に壊したりもするけど、どちらも心の脆弱性をつくと非常に効率がいい。構築屋がやる壊れないための測定を逆に使って、壊れやすい場所を探せばいい。

構築屋〜心を組み立てる者〜

構築する人もいる。より頑丈に組み立てるために、何をどう配置して、どこをどうすればいいのかというのが読める人。心理屋さんがそちらの専門だろう。教育者もどちらかというとそのような役目を負っていたりする。うまく構築するのって大変だけど。

大体において自分の心を操作するのは、自分に対する信頼性が必要で、他人の心を操作するのはその人との信頼関係を築くことが必要になる。心理学的にラポールって言われるものだ。

オープンな心とクローズな心

誰にでも心を開く人がいる。誰にでも心を閉じる人がいる。普通の人はその中間で、気が会えば開くし、合わなければ開かない。
脆弱性を他人にさらすことができる強さを持った人や、それができないで自分の中に隠している人もいる。またどっちも同時にやっていたりもする。オープンな心を持った人は、人とつながりやすいし、クローズであれば繋がりにくい。

人はいろいろな心を持っていて、形や材質で繋がりやすさが違う。同じような材質でできていれば繋がりやすいし、まったく違う場合はお互いに削れあったりする。もっと心が可視化できたりすれば、怖いと思うけど面白いとも思う。心の機械的な特性を計るようなテストがあってもいいのだと思うけれど。そういうものはないものだろうか。感覚的なものをそのまま人に伝えるのは難しい。そのイメージが比喩的なものであったとしても、一度フォーマットを作れば非常に類推による理解や創造が可能になる。だからこそ、「〜のような〜」という表現は面白いと思う。

類推による創造と新たなフォーマット

一分野を深く知っていて、類推によって別の分野に応用可能な状態というのは非常に面白い。びっくりするぐらい変なことを思いついたり、面白い仕組みを思いついたり、変な構造が見えたりする。新しい視点を持つことは世界を創造することだ。認識世界が多重化して、世界はより豊かに存在を主張するようになる。まったく別の人の意見を聞いて新しい視点が持てたならそれは、とても楽しい体験だろう。

もっと色々な人と話がしたいな。もっと世界を豊かにして、もっと面白く、もっともっと「変な」世界にしたい。そしてそんな認識からできたものが、役に立てば幸せだ。