意識レベルと戦略戦術

今から酷いことを書くつもりだ。わかっている人には頷いてもらえると思う。

仕事が出来るとは

仕事が出来る人というのはどんな人なのだろうか?どんな人が仕事が出来るのだろうか?私はプログラマーだから、プログラマーで例えるが、技術がある人だろうか、きちんと仕様に通りに作れる人だろうか?私は、成果が出せる人だと思う。答えを見てそりゃそうだと思っただろうか?これは別に頓智ではない。これはちょっといいことを言ったわけでもない。仕事というのはタスクと、そのタスクを決定することに分離することができる。プログラマーなら、「プログラム作業」と「どんなプログラムを作るのか決定すること」だ。

プログラム作業が上手い人が、良いプログラマーかと言われると、確かにそうなんだろう。ただ、仕事が出来る人かと言われると、「わからない」というのが正解だろう。それは良い作業者であろう、でも仕事が出来るかどうかは、何を作ってどんな成果を出したのかで判定される。良いプログラムを書いた人が、凄い成果を出せるという単純な構造であれば、世の中は簡単だ。でも現実は、その力をどちらに向かって使ったのかで、成果は全部変わってしまう。

みんなできるならば、強い力(単純な意味ではなく)が欲しいだろう。よりよい能力やスキルや技術が欲しいだろう。そしてそれが手に入れば、富や名声や成果が上がるのだと思っているのかもしれない。昔の私はそういう考えだった。しかし、世の中はそうできていないように見える。

凄い技術者が、成果を出してる?違う、成果を出している技術者が凄いんだ。成果が評価を決める。成果は何で決まるか、どういう戦いをするのかだ。どういう戦略を持って、どういう戦術で戦うかだ。それが「どんなプログラムを作るのか決定すること」だ。

戦略戦術とは

学校では全く触れられないこの戦略や戦術を組むということ。これは、自分の持っている力をどのように運用すれば、一番目的に沿った形で展開できるかを考えることだ。これは、殆ど「意識を主体的に運用できるかどうか」と同じ事だと思う。

意識と戦略戦術のどこがつながっているんだという風に思うことだろう。そもそも意識とは何であるのか?毎日ランチで何を食べるのか決める?CMを見てあれが欲しいと考える?意識が高いとはなんだ?それっぽい本をこれ見よがしに読んでみたり、大きな声で議論して論破することか?

意識とは、無意識での解決の出来なかった問題の解決者なのだと私は思う。意識がなければ解決できない問題があるのだ。それは作業では解決出来ず、リソースは足りず、現状では解決ができないものだ。例えば戦争、やりを突き出すことを繰り返していれば敵に勝てるだろうか?私なら罠や卑怯な手を使って安全に倒そうと画策するだろう。何も考えずにまっすぐ突き進んでくれる敵は、格好の餌食だ。

意識とは、自分のことを考えるのではなく、他人がどう考えるだろうかを考えるために発生したのだろう。同等の思考能力があれば、2手3手と相手の裏をかこうと画策するだろう。なぜそうするのか、負けると死ぬからだ。なぜ、意識が生まれたのか?相手の考えていることを考え無いと死ぬからだ。

自我の芽生え

逆説的に、意識ができることで意識は私というものを自覚した。反抗期に親に反抗することで初めて、自分の自我というものに気がついたり、相手の存在を認めることで恋をしたりするのもその成長過程の一つなのだろう。私というものは、実は近代的な発明だったりするのだ。サルから人間になる途中で、急に意識を持ったのではなく、その途中の段階も当然あった。

意識は獲得するものだ。意識は成長する。ならば、意識の次のレベルとは何なのだろう。意識は、0と1である無いだけで言い切れる存在ではないのだろう。私は意識が非常に興味深いので、考えそして成長した結果としてこれならというレベリングを考えた。しかし、このレベリングは非情である。

意識レベル 状態 特記事項 大人での割合
レベル0 意識以前 子供 15%
レベル1 自我の形成 普通の人 82%
レベル2 主体性の発揮 有能な人、解決者、感情の管理 3%
レベル3 組織型記述、未来型記述 強い意識、目的創造者、経営者等 0.1%

このレベル付けは、殆ど覆すことができないほど能力の差を分けてしまう。そしてこのレベルを2以上に上がってくる人は稀にしかいないと思っている。思っているというか、今のところ残念ながら殆どレベルを登ってくる人間はいない。もしかしたら、私のしらない所ではバリバリレベルが上がっている組織や、地域や場所があるのかもしれないけども。

意識レベルの上げ方

これはほんとうに難しいと思う。簡単なのは、死にそうになることだろう。自分の死を考えること、自分の生を考えることと同じだ。私の場合の起点はそこだったと思う。

私は何なのか?私の意味は、意義は、人生とは何なのか?これらに物理的に記載された答えはない。生命だから、生きて次世代を残すくらいだろう。でも我々は、それだけでは満足出来ない。私が何なのか?生きている意味はあるのか?もしあの選択肢を選んだら死んでいた、今生きているのはただの偶然だ。この選択肢に意味はあったのか?私の命に意味はあったのか?

私に意味などは、特に無い。基本的には、1/60億の人間だ。日本に生まれたから運が良かった。もう少し前に生まれたら、もう少し良かった。私が戦争に行かないのはたまたま今の時期の日本に生まれたからなだけで、ただ運がいいだけだ。全てはたまたまで、私の努力なんてなんの意味も無いし、ほとんどが偶然の賜だ。

私には意味など無い。

自分が自分であるために動かないことには未来などなく、人生の多くを無意識で過ごし人生の最後の時にあれをすればよかったと後悔するだけだ。誰のためにも貢献して感謝されることなく、ただ日常を過ごして終わるだけだと悟った時から私はちょっとだけ変わった。誰かを助けられるくらいの力を持とうと思ったのだ。

この状態を味わってもらえれば、引きずり上げることができるのではないかと思ったりしている。周りにいる人はよくよく気を付けないと巻き込まれるので注意して欲しい。

意識レベルのもっと上

多分、この上にもレベルはあるのだと思う。同じレベル同士がぶつかれば必然的に次のレベルが生まれる。1000年後にはこんなことは初学で学んでるかもしれないと思うくらい、基本になっているのかもしれない。今の意識が普通に皆持っているものと思われれいるのと同じくらい。

そんな訳で、もっと上を探索していきたい。