地球市民問題解けたよー!\(^o^)/

最近は、ごとごと電車で仕事に行くのが楽しいkaerusanuです。

愛がテーマのうさんくささ

国民に大いに議論してもらいたい。これは大きなテーマ、まさに愛のテーマだ。友愛と言っている原点がそこにあるからだ。地球は生きとし生けるすべての者のものだ。そのように思っている。日本列島も同じだ。すべての人間のみならず、動物や植物、そういった生物の所有物だと考えている。この中でそれぞれが自立しながら共生していく世の中を、どうやってつくっていくかということが、ある意味での日本、世界に生きる人々の最大のテーマになるのではないか。今日までに、世界は弱肉強食に行きすぎたと。その前は、日本は依存に行きすぎたと。
依存でもない、弱肉強食でもない「自立と共生」をいかにうまくマッチさせるか、バランスを
とるか、それが友愛の精神だと思っている。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1255039.html

何十四時間テレビとか、どこかの宗教とか、左翼の地球市民とか、一見当たり障りの無い良さそうなことを言っているような気がするけど、なんかうさんくさい。そのうさんくささを、ついに解くことができたので、報告する。この言説を広めて、論破しまくって頂きたい。

全ての問題は適切なモデル化によって解くことができる

人間は、脳内メモリがそれほど多くないので、素粒子からのデータを全て入れて、シミュレートできないです。むしろ、そこまでいくと、素粒子の座標や状態を取得する方が大変だったりします。というわけで、適切なモデル(思考するためのモデル)を組むことで問題を簡略化して、解くことができるようになります。

しかしながら、逆に言えば不適切なモデルを問題に組み込むことで永遠に解けない問題を作ることができます。その一例が「地球市民のうさんくささ」問題です。今まで、何となくうさんくさくて近寄りたく無いけど、なんか論破もできないなーという状態だったわけです。主義主張の問題なのかなと思いつつ、違うことを信じている人たちなんだなと思っていたわけです。

地球市民のモデル

まず、現時点で色々主張している地球市民のモデルを解析します。彼らの主張は大体こんなところです。

  • 人間同士戦わないで仲良く暮らそうぜ
  • 愛は全てを解決する最終解だ!
  • 我々は同じ地球に住んでいるおそらく同じ先祖をもつ大体似ている塩基配列をもつ多細胞生物だぜ!同じだよ!肌の色、言語、民族、歴史なんて関係ないよ!みんな地球市民さ!

最後の方の適当さはおいておいて、大体こんな感じです。しかし、地球市民というと怪しいですが、「我々は同じ同一宇宙に住んでいる!宇宙市民である!!!」という主張をし出す人が出てきても良いと思うんだけどなぁ。そっちだったら、なんかおもしろそう。

地球市民のモデルは、極めて家族等極めて少ない人数で行われる人間関係モデルを、そのまま、地球レベルに拡大した極めて幼稚なものであると言えます。10人で会議はできますが、600,000,000人で会議はできません。地球を100人の村にしたらという、今考えると馬鹿な話があったなと思いますが、こんな論理を咄嗟に論破できなかった訳です。論破するためには2つの問題があります。組み合わせ問題と表面積問題です。

組み合わせ問題

10人の組み合わせは10C2=45通りで、10人のグループの中に45の2対人間関係が存在するわけです。実際には、あるひとをハブとしたネットワーク状になって居るんだろうと想像が付きます。ある人と通信を取るために、そのまま通信がとれない場合は、ある人を間接的に経由することで通信を取ることができます。10人のグループだと、一人か多くても2人経由すれば通信を取ることができます。

さて、そのまま100倍の1000人にグループを拡大します。ちょっとした大きめな会社です。ただし組織化がされていない。馬鹿みたいに大きい先生の居ない学校だと思えば良いかもしれないです。1000人の組み合わせは、1000C2=499,500通りです。人間には把握が不可能なレベルになってきました。まだ、たった千人ですよ。組み合わせの計算はn(n-1)/2なので、人数の2乗で、組み合わせが増えていくわけです。1000人の、ある人と通信を取りたいときは、何人経由すればいいでしょうか?組織がされていないという前提なので、5人くらいでしょうか、下手すれば20人くらい必要な気がします。

というわけで、組み合わせが2乗に増えていくので、スケール的に拡大したら、モデルは、破綻するよというのが分かると思います。20人で伝言ゲームをしたら、絶対にうまく伝わる自信がありません。むしろ、絶対にけんかになるだろうなと思うわけです。

表面積問題

ここでの表面積とは、人間関係での関係性の拡大の場合の関数は、1人の友人を持っていようが、100人の友達を持っていようが、変わりなく1人づつ増やす事になりますので、1次関数であると言えます。これが3次関数だったりすると上の2次関数に勝つことができますので、人間のメモリが無くなるまでは限界まで拡大するはずなんですが、残念ながら1次関数です。

よって、どんなにがんばって努力したところで、人数スケールの拡大について行くことはできません。よって、スケールの拡大によって、上のモデルは崩壊します。

問題を解決するためには、今は分子に組み合わせの2次関数が、分母に表面積の1次関数が居るので無限に向かってしまい、収束することができません。実は人間はこの問題に対抗するための対応策を作ってあるわけです。

組織化という対応策

まぁ、スケール問題を解決するためには、順当に組織化しましょう。1000人問題でも、10人でグループを組んで、リーダーを決めて、リーダーがさらに10人集まって中グループを作って、中グループで中リーダーを決めて、中リーダーが10人集まることで大グループを作ってと、こうすることで組み合わせが一気に減ります。

具体的に計算するとまず、ベースの小グループのかずが100。中グループが10。大グループが1。グループの数が111で、1グループにつき45の組み合わせが発生するので、4,995の組み合わせができます。実に、2桁スリムな組織が完成しました。これで、最大の通信の距離は4となります。

Aグループの人→Aグループ小リーダ→中グループAA中リーダ→Bグループ小リーダ→Bグループの人

だいぶ短くなりました。さらに組織化されたことで、誰がどこに居るのかもわかりやすいです。間接統治の民主主義ですね。民主主義とは、通信の爆発問題を解くために生まれた手段なのだと理解することができます。

それと、いろいろな組織における断絶(民族やら国やら)が当たり前に発生する理由が理解できると思います。

人格モデルと組織格モデル

私たちは、人格モデルというものを持って、人間関係を理解しようとします。人格モデルは、そうであると仮定すると便利だから使っているだけで、別に脳細胞のこの部分が人格を持ってどうのこうのというのは発見されていません。我々が人格モデルを使うのは、「その人の細胞がどうのこうのだから、どうだろう、だから何々である!」というのが、全くを以て計算が爆発というか、計測すらできないので不可能であるということで、自らと同じ格を持った存在を仮定することで、殆どの計算を端折る事に成功したわけです。

同等の話ですが、組織に置いて、組織の外に居る人は、内部の人間関係を把握というか観測できないので、とてもじゃないけど自分がこうしたらあの組織はこうするだろうという計算をするのが困難な訳です。だから、私たちは自らと同じ格を仮定することで、殆どの計算を端折ります。ただ、ここには落とし穴があって、人間と組織では当然色々違うわけです。だから、組織論を人格ベースで行うとうまくいかなくなるのは当然なわけです。

大体、組織論は、組織格が主体になるのであって、内部の人間は主体ではありません。組織論で「愛」を語るならば、組織同士で戦いをしないで協力するようにしようということであって、組織の内部の人間が仲良く暮らせるようにしようではないのです。

人格レベルで愛を語ると、人間が仲良く暮らそうぜになりますが、組織レベルで愛を語ると、組織同士が仲良く暮らそうぜになります。当たり前ですね。しかし、最初に取り上げた発言を見ると、人格レベルでの愛を語っていて、組織レベルでの愛なんて考えてすら居ないように思えます。

一見、良さそうな事を言って居るように思えるのですが、例えば格を下げてみて話をすればすぐに分かります。AさんとBさんが居ます。Aさんの中にBさんの細胞が入ってきました。代謝活動を行っている(税金を払っている)ので、思考権をくれとBさんの細胞がいいます。Bさんの細胞はAさんの中で、Aさんの意識と関係なく増えたり、行動を取ったりします。挙げ句の果てに俺たちにも脳をと言い出しました。どう見てもガンです。ありがとうございました。

と言うわけで、スケールアウトのレトリックを使って、一見良さそうな話でだまそうとするのは、よく悪い人が使うテクニックです。気をつけましょう。