運パラメータとリスクテイク

運とはなにか

運がよい悪いとは何なのだろうか?多くの人が考えている運というものは、使うと減るモデルでゼロサム・ゲームというような形であると思う。運として流れがあるとか、勢いがあるとか、そういうような言葉であたかも事象が連結されていて、因果があるようなものとしてモデルをしている。

もしかしたら、外側の世界に運というものがあって、現実的に見えていないだけという可能性はどこまでも残りつつも、認識レベルとしてのモデルとして私が考えると以下のようになる。

運とはリスクテイクだ

運とは、事象が起きたあとに因果関係を考えて、自分にメリットがあるような結果になった場合のランダム値をいう。人間には線形補正が常に認識で働くため、トータルでみると釣り合いを取るような形になる。ただし、プロスペクト理論によって、マイナスの要素は過剰に見積もられるため、平均するとマイナスに見積もられるはずだ。

では、自己認識が運がいい人や、運が悪い人とは何なのだろうか?

これは、運がよいと感じる人は、起きたことを自責だと思っているため、「運」ではなく、改善可能な因果として計上しているのだ。逆にありとあらゆる物事を自責だと思えない人は、自己認識として運が悪いと考えているはずだ。

運がよいや、運が悪いという自己認識は、結果として自己の行動の因果関係を補正するパラメータとして動いているようだ。

運を良くするためには

ここまで理解すると、運をよくするのは簡単だ。
ありとあらゆる物事を自責にするだけで、ものすごく運がよい状態の認識になる。これは逆にいうとありとあらゆる物事をコントロールできると信じているので、何か起きてもそれを改善を行うために学習が働き続けるということだ。

学習が働き続けることで結果として成長をして、結果として良い結果が出るのだろう。結果を受け入れるだけの強い自己認識が必要だとは思うが、結果として結果が出る。そして、行動前にも運がよいという予測補正がつくようになるため、行動を起こしやすくなる。結果として、絶対量の成功が多くなるのだろう。

最終的には、学習の最終項目としては、リスクテイクを学習するところに着地する。うまい賭け方を覚えるようになるのだ。ここまで来ると、運がよいというのは、単純に勝ち方を知っている賭け事で勝負していて、かつそれを学習し続けるということがわかる。

因果の逆転

以上のようにすることで、因果は逆転をする。
運が良いと思うことで結果としてリスクテイクを学習して、トータルとして勝ちをする。運が悪いと思うことで、結果として学習をするのをやめ、トータルで負け続ける。ということが発生するようになる。

行動→結果→認識→行動

というように人間は認識しているが、どこを改善するべきなのか?
一番簡単なのは、ただの脳内情報である認識、2番めが行動ということになる。というわけで、認識をいじることができると、結果として見えている世界の因果関係が変わってしまうことがわかったのではないだろうか。