日常の何もないところに人生の本質がある

ネコとネズミ

なんだろう?この気持ちは

私は数年頻繁に行っていた団体を休んでいる。休んでいるというか殆どやめているといっていいのであるが、それは自分のやりたいことをするため。親しい友人たちがいるところを出てきた。

それは中途半端にすることができないということと、人生の優先順位として考えたら、仕事の方が優位だからだ。そう思っていた。

でも、それは論理的な部分であって、感情的な部分は全く解消できていなかった。彼らの日記などをネットで見ると泣きたくなる。ああ、僕はこんなにもあの場所が好きだったんだと思う。彼らと一緒に笑っていたかった。ああ、時は過ぎてしまう。来年になったら大学を卒業して、もうそこに帰る資格すら失ってしまう。

後悔しているんではない。ただ、悲しいだけだ。ああ、僕は本当にそこが好きだった。好きだった。好きだった。そこにいたかった。別に誰かに強制されたわけではない。自分で選んだ。ただの日常がこんなにも恋しいものだったなんて知らなかった。

こんなことを急に言うのは、その団体を親しい友人がやめたから。また帰る理由が一つなくなってしまった。大学を卒業すれば、大学院に行く人以外はみんなちりじりになってしまう。それが早くなっただけ。ただそれだけなのに。大学という日常は終わり、仕事という相に変化する。ただそれだけ。それ以上でも、それ以下でもない。

ただそれだけなのに。こんなにも。愛着のあったところを離れるのはつらい。ただ、来年になればもう、みんな居なくなる。それだけ。