名は体を作り、想像力は未来を作る

へびとねこ

名前を貰う

責任を怖がる人がいる。責任が欲しがらない人がいる。自分は逆だ。責任が欲しい。望んで責任をとる。なぜ私が責任を好むのか。肩書を欲しがるのか。それは権力を欲しいわけでも、自慢したいわけでもない。それは成長するのに最も簡単な方法だからだ。

自分は2日前ほどに、マネージャーになったと書いた。別に給料が増えるわけでも、部下が増えたわけでもない。でも、肩書を貰った。1日目は、慣れなかった。聞くたびに、くすぐったくてしょうがなかった。それが今日ようやく、しっくりくるようになった。どうやら自己の拡張に成功したらしい。今までのちょっと照れやすい臆病な自分は引っ込んだ。いつの間にか、どこかしっかりとしたような、芯の入った自分になった。

肩書というのは自己イメージを大きく左右するだけのポテンシャルがある。自己イメージは、実はかなり自分という存在を左右している。自己イメージというのは、自分という認識のことだ。自分の認識が3しかなければ、たとえ10の力を持っていたとしても、発揮できるのは3だけだ。

そういう意味で自己イメージというものは重要だ。自己イメージ以上の力を発揮することなんてできない。スポーツでやるイメージトレーニングも同じだ。あれは単純にその動作のイメージをすることで、それを現実にする。それは確かに効果があることは、やった人ならわかるはずだ。

意思よりも想像の方が強い支配力を持つ

意思って言うのはそれほど強くなんかない。想像力の方がよっぽど強い。意思の力で勉強を強くやろうとしても、長くは続かない。それはなぜだろうか?それは意思で強くやると考えることは、「難しい」、「できない」といった想像を誘発するからだ。要するに、できると思っていないから、意思で強く思わなければならないのだ。だから失敗する。

それよりも、想像力でやってしまった方がうまくいく。寝る前に明日がうまくいくことを一通り思い浮かべて寝る。これだけで驚くほど明日は上手くいく。それはやってみればわかる。ただ、懐疑的だったり、否定的にやれば、そのような想像をしてしまうので、当然うまくいかない。

信じる力というのはそういうことだ。それをできると信じることは、物事をなすのに重要な要因だ。得意なことということは、やったことがなくてもできることを信じている。そうではないだろうか?逆に苦手なことは、やる前からできないと信じている。

逆だという反論もあるだろう。「苦手だから、できないと信じている」というような反論だ。それは、自然なことだし普通は同時に生まれる感情でもある。ただ、それを改善しようとする時に、一つを改善すればもう一つも勝手に付いてくるのだ。そういう意味で言っている。

それは悲しくなくても悲しい顔をしていれば、悲しくなるのと同じだ。

想像力をうまく使うには

自分が嫌いな人は、自己イメージが否定的だ。何をやっても何かうまくいかないと思う。それは、自己イメージが自分がうまくいくのを妨げるからだ。嫌いな自分が幸せになるのが嫌だからだ。自分が幸せでない理由は、自分が幸せになることを拒む自分だ。

それは大抵幼少の時に学習する。無力の学習もそうだが、不幸の学習をしてしまった人は不幸だ。何しろ、自分が幸せになろうとすると、不安で不安で仕方なくなって、それならいっそと全部だめにしてしまう。期待しないという、防御法は幼少時には必要だったというのは認める。期待しないだけでは済まないのが普通だ。期待しないを通り越して、悪い想像をしてしまう人は不幸だ。自己達成予言となり、自分でその予言を達成して、不幸であることの認識を強化してしまう。

期待しないというのは、苦しい生き方だ。生きるのがつらくなる生き方だ。期待しないというのは、期待することが怖いのだ。期待が裏切られるのが怖いんだ。もう裏切られたくない。だから、期待をしない。でも、そのことで物事の周りはよくなるどころか悪くなる。悪循環だ。

期待をしよう

期待をしよう。未来は無条件で明るいと展望を持とう。今の自分より、明日の自分は成長してもっと良くなることを想像しよう。人間関係がよくなり、仕事が良くいくようになり、笑って幸せに生きていいる自分を想像しよう。それが確信を持てれば、それは本当になり、うまくいく。問題があるなら、問題がうまくいったことを想像しよう。

特に心の問題は避けて通れない。あれは、幸せになろうとする自分の足を引っ張る。だから、心の問題が解ける想像をしよう。どんなに気持ちがいいだろうか。青空が青いだろうか。曇った眼が輝くだろうか。どんな鮮やかな世界が君を待っているだろうか。想像するだけでいい気持ちになる。

自分に自信を持とう。持てないならば、持てた自分を想像しよう。その自分はどんなに頼りになるだろうか。その自分は、生きるのはこんなに楽しいと実感できているだろうか。認識の世界と現実の世界は鏡写しになっている。それは現実の世界が、自分の中で投影されているから。

現実は辛くない。つらくするのは自分。現実は打ちのめさない。打ちのめすのは自分。現実は厳しくない。厳しくするのは自分。