2009-01-01から1年間の記事一覧
最近のテイストは、儀式を兼ねた記憶の消化活動。 悔しいから動く 昔の自分と今の自分の違いを記述すると、その駆動する要因が大分違う事に気がつく。以前の自分は、「自己」が主体であり、その動く理由は利己的な物、つまり褒められたいだったり、何かを手…
また少しだけまとまったので書いてみる。 幸せになるのは簡単 私は、幸せだ。ありとあらゆる幸運に恵まれて、周りの人に恵まれて、環境に恵まれていると感じる。それは、他の人に取っては、ささやかなものかもしれない。でも、私にとってはかけがえのないも…
いろいろな人に話していて初めて気がついたことを書く。 痛みが伝わらない 私はビジネスで失敗したことがある、といっても一年も経っていないのだけれど。そのときの痛みを他の人に伝えようとすると、笑い話か同情話にしかならない。でも、伝えたいことは全…
久々にブログを書いてみようと思う。色々ですなまーちがあったり、なかったりした。色々作ったようなできたような気がした。 民主主義は間違える 「資本主義は、最低な方法だ。しかし、今のところ考えられる中では一番まともだ」という話が、あるが、民主主…
仕事場が移動して、通勤時間が片道2時間20分になった。しきりに回りに引っ越すように薦められるようになった。確かに、限界に近いよね。3時間くらいしか寝てないし。 言いたいことはタイトルで言ったからいいか。 現実世界と妄想世界は、同じものであるとい…
ほとんどすべてのものが、0か1ではなく、その間の小数点の領域が存在する。それはたとえばみかんの半分だったり、ヒトふさだったりするわけだが。それは今でもあまり切り崩されていない人格にも存在する。人格は、人格を持つものと他に認識されるものに観…
世界を平和にするために 前回のエントリーで愛だけで世界は平和になどはならんだよという結論が出たと思うのですが、今回はそれの逆、さらにアプローチ的には未来的なSFを使って解決してみようという思い切りすぎたような企画です。 認識限界の突破 今回はSF…
最近は、ごとごと電車で仕事に行くのが楽しいkaerusanuです。 愛がテーマのうさんくささ 国民に大いに議論してもらいたい。これは大きなテーマ、まさに愛のテーマだ。友愛と言っている原点がそこにあるからだ。地球は生きとし生けるすべての者のものだ。その…
感情の制御と離散的な思考の解 悲しみの仮想化 悲しみを仮想化して、俺への影響を少なく出来ればいいわけだ、と思った。それは人格の仮想化と同じであるのだろうか。つまりは多重人格のエミュレートなのだろうか。特定の感情をほうり投げるにつれて次第に他…
twitterでずっと仲良くしていた人がbotだった 僕のtwitter古馴染みの中に@donsukeと@ha_maがいる。@donsukeは今でこそ猫のアイコンだが、最初はマントを着ている熊のぬいぐるみのアイコンで、「〜なのだ」という語尾をつけるなどの子供っぽいところがあって…
デジタルな概念をアナログに拡張する 基本的に頭の中では、ON、OFFの2通りしかない。しかしながら、現実にはその中間の段階が存在する。だからこそ、言語的なあるなしを、数直線上に引き延ばす。なしを0、あるを1といてそれを延長させて次元の軸を作…
なぜゲームがおもしろいと思えるのか? なぜ人間はゲームをするのか?ゲームというものはなんなのだろうか?「遊び」という行為自体は、類人猿でもほ乳類でもある程度見られる。そもそも、遊びとかゲームというものは何のためにあるのだろうか?ただの暇つぶ…
なんか書かないと主観世界が先に進まない。 人間とは? 人間性(humanity)から定義される人間という存在は、お互いに支えあうという「人」の話のごとく、「シミュレートする存在が複数いて、その結果を変化させると、その結果によって相手の反応も変わって・…
意識は「現実」という幻想の物語の主人公である 意識というのは、主格なしでシミュレーションをしていくうえでの限界点、つまり自己の干渉を考慮に入れた現実認識モデルにおいて、主格無し型には実行不可能な「シミュレーションする自己」の再モデル化を含め…
ひどくあけましておめでとうございます。 既に、今年が焼け付いて幾日も経ちますが。 観測するということ解釈するということ 未来は不確定な場所にあり、観測することで形が変わる。過去は、不確定な記憶という場所にあり、観測することで形が変わる。現在は…