個の拡張としての場、場としての人格

すごく久々に書くような気がする。メモ、走り書き。

私という存在は、物理的な私を外殻として認識構成していたのだけれど、別の捉え方として、私はこの私という存在を取り巻く認識そのもののゲシュタルトであるという発想がにょろっと出てきた。

そんなわけで、そこからの発展系をちょっと探索してみた。結果としては、この先に待っているのは、あくまでも派生系であって、現状からの発展形には至らなそうだということ。そして、この自己を現状の認識ゲシュタルトとして認識するのは、おそらく外交的な性格と呼ばれるカテゴリーの人格なんだろうなということ。

もう、さっぱり説明をすっとばすけどそういう結論が出てきた。それなりに正しそうな気はするけど、よくわからない。

そして、伝えるために書いてないからさっぱり意味が分からないだろうなと読み返して思った。まぁ、備忘録。