探すということ、夢を見るということ

ふぬー!なぜにみつからない!!

昨日の日記でJavaScript(WEBプログラムの一種)を使って作ろうとしたが、それを本とWEBで探したが見つからなかったと書いた。これがどういうことなのか気になったので考えてみた。

手段としての探し方は知っている。つまり、googleでも自分では使えると思っているし、本の読み方も知っている。ではなぜ、見つからないのか。

探しても見つからないというのは2つのネックが存在する

一つ目は、探す能力がないということ。
二つ目は、見つけたことを欲しいものかどうか判断する能力が無いということ。

今回自分が陥ったネックも判断能力の欠如だった。検索時にキーワードを知らないというか、その機能の名前を知らない。具体的な関数を知らないとあって、どのキーワードで検索するのかわからなかった。

コンピュータは「正解を判断するすべをもつ問題」を時間さえかければ全てとくことが出来る。ということは、問題は正解を判断するという能力が大事なのであり、それが出来て初めて問題を解く能力が問われるのである。

自分のことで言えばが英語が苦手だったが、英語が出来るという状態を想像できなかったということが原因であるように思う。だから、どんなにやっても「できるようになった?」という疑問がぬぐうことが出来なかったのだろう。

夢との相似点

夢というのは探すということに、非常に似ている。
一つ目は、夢を現実にするために実行する能力が必要である。
二つ目は、夢を実現できたかを判断する能力が必要である。

二つ目は言い換えれば、夢を持つ能力が必要であると言い換えることが出来る。これはいかに自分の中に強い欲求を持つことができるかということと等しい。親が、欲求を持つ前に与えてしまうということは、つまりはそのような能力をなくしてしまうということだ。

夢は自分でその夢の状態が思い描けないと、けして実現することがない。夢を実現するために必要なのは実行力よりも、むしろ夢の構築力のほうが大切なのではないだろうか?僕は大学4年で今、周りは就職活動している。就職活動を始めてからは変わったが、する前には「夢が欲しい」というような発言をよく聞いた。これは全力で探したいが、探すものが無いという状態なのではないだろうか。今まで一生懸命、実行する勉強はしてきたけど、実行したい対象が無い。または、現実味の持てる夢を作ることが出来ないということ。こどもじみた幼い夢はあるけど、現実にそれを今と繋ぐ事が出来ない。これでは悲劇だ。

欲求を認めるということ、満たすということ

誰にでも欲求はある。ところが、過度に欲求があることを認めないことが美徳であるかのような風潮が昔から存在する。これを、対他人に対しての謙遜や遠慮であるのなら問題はないのだが、それが本当で欲求を否定するような人がいる。例えばお金を否定するとか、恋人や性欲を否定するとかだ。こうするとどうなるのだろうか。結果としてその否定したものを手に入れられないにとどまらない。欲求というものが複雑(コンプレックス)になってしまい、自分だけでは身動きが取れなくなってしまうことがある。これは欲求を否定するためにおきたことだ。

それでは欲求を前面に押し出さないためにはどうすればいいのか。それは逆説的ではあるが、欲求を満たしてやればいいのだ。欲求を満たせば、他に向かって過度に欲求を押し出す必要が無くなる。金持ちが金に対して貧乏よりはドライだというのはそういう部分があるのだろう。衣食足りて礼節を知るというのはそういう意味だ。

夢と欲求

夢と欲求は同じことだ。自己実現という欲求の一部を夢と呼んでいるだけだ。夢も同じように否定してはいけない。出来ないから夢なんだという人は、夢を叶えられない慰めを得るかも知れないが、夢は叶えられない。夢は叶うものだし、叶えるものだ。叶うような夢を設定したいし、かなえるように行動したい。夢に向かうというのは、楽しい。例え他人から見れば辛いことをやっているように見えても、本人は楽しくてしょうがなかったりする。他の人が何か言うこともあるだろう。その人は親切心からいっているのかも知れないが、夢を叶う前提で動いている本人にとっては、なんというかピントが外れて見える。叶わないかも知れないではなく、叶うようにやるということだから。

好きな仕事をするということ

誰でも好きな仕事がしたいだろう。だが、現実にそれが実現する人はそれほど多くないだろう。休日に、早く仕事がしたいと言っている人には会ったことが無い。実際には少数いるだろうが。なぜみんなは好きな仕事をしないのだろう?ある人は言うだろう「しないのではなく出来ない」のだと。それを言って自分を慰めてもいいが、その人は好きな仕事が出来ないだけだ。

好きな仕事とは、お金や地位や名誉を貰えなくてもその仕事をしたいかということである。それでもやりたいと思うならそれは本物だろう。これで好きな仕事の判別法は分かっただろうと思う。あとは探すだけだ。