街の降る夜 序

あの遠い風の向こうに、むっとする熱気の向こうに、想像もしたことの無い星があって、そこにも私たちみたいに日常を生きるモノがいるのだろうか?そう思うと、どこか不思議な気がする。日常の何も無い時、自転車で雨に濡れたり、みんなで食卓を囲んだり、そんなことが誰にだってあるんだろう。

人だって、動物だって植物だって、何だって懐かしく思うことはあるんだろう。原風景。それは、帰りたくなる故郷。それは安住の地であり、ユートピアであり、過去の思い出。過去は、変わることが無い。安心してみていられる。だから、私たちはお決まりの物語を好む。

悪と戦う正義の味方。やられそうになるけど、絶対に負けない。もうだめかと思ったときが、勝声の上げ時だ。安心してみていられる。驚きも良いけど、安心もいい。たまにはそう思う。ゆったりと過ごす時は、何も無いようで実は濃密な時間を過ごしている。

日常の戦いの間くらいは、ゆっくりしていたい。日常には悪も正義もいないけれど、ハッとする驚きもないけれど。雑雑とした中にどこか安心を感じる。生きているという安心をすることが出来る。私は悲劇のヒロインにも、正義の味方にもなれなかった半端モノ。普通に生きて、やっぱり普通に生を全うしていくのだろう。大人になるっていうのは、つまりそういうこと。なりたかったものを諦め、現実を受け入れ、ヒロインじゃなくて、結婚してただの母親になって、そして老いていく。

ああ、若さを失って夢を叶えるごとに、可能性は無くなる。なんにでもなれた私は、特定の私にしかなれない。一回の人生じゃ足りるはずも無く、宗教のもたらす都合のいい輪廻転生を信じたくなる気持ちもよく分かる。私でないものになれるならと。ついそう感じてしまう。

それでも、物語は始まってしまう。まだ、設定なんて何も出来ていない「私」という存在だけの一人だけの世界で。どんな世界を望むのか、それが全ての答えであるはずなのに。私はそれを手に入れることは、おそらく永遠に出来ない存在だ。ここから先の未来はまだ未決定で進むことで道が作られる。生きるというのはそういうこと。