「欲しくないもの」は手に入らない

欲しくないものを欲しいと偽る

欲しいスキルが、何で手に入らないのかようやく分かった。欲しいと思っていないからだ。もちろんあれば便利だと思うし、知っている。でも、欲しくない。それを欲しいと偽って勉強やそれについてのトレーニング、試行を重ねても獲得できない。それは、欲しくないから。

知っているのと、実感できるのは理解のレベルが、かけ離れている。欲しいというのがあれば便利というレベルならば、それは手に入らない。それは、「欲しい」という実感がわかないからだ。そして、その「欲しい」を手に入れるには、失敗することだ。今の状態でうまくいかないことを実感することだ。プライドを捨てて、そのスキルを手に入れることを望むことだ。

失敗しないようにという望みは、別の意味での失敗を招く

失敗は誰もしたくない。そして、誰もが通ってきた道を、通らないようにという先輩のアドバイスがある。しかし、致命的な問題は別として、失敗しないと分からないことの方が遥かに多い。親は子供に苦労をかけない様にと育てようとする。しかし、子供の失敗を恐れる親のやさしさは、大きな失敗をさせない要に誘導する、または強制するということだ。だが、致命的なのは子供がそのことを欲しいと思っていないところにある。

外側からのアプローチは失敗する。内側の欲求を育てる方法は、おそらく成功するのだろう。問題は誰が欲しいと思うかだ。私が欲しいのか、あなたが欲しいのかで結果は変わってしまう。そして、欲しくないものは受け取れないということだ。子供は親の欲求を受け取って、自分のものだと勘違いしてしまう。でも、それは自分の欲求ではない。だから、手に入らない。

自分の「欲しい」を見つける

何が欲しいだろうか。「欲しい」を手に入れるには、欠乏を体験することだ。出来る限りの失敗を体験することだ。致命的でない、失敗をすることだ。それも消極的な失敗ではなく、積極的な失敗をすることだ。何もしないことによる失敗は、何の価値も無い。自分の中の「本当の欲しい」という欲求は宝だ。それを根幹として、自分を形成することが出来る原動力となる。

私は、それほど現実レイヤーにおいてアクションをするのが得意ではない。今日も失敗した。打ちのめされた。力の無さに驚いた。でも、それでよかった。欲しいと思えるようになった。自分の胸に、それを獲得する力があるか問うことだ。確信を持って、それを獲得する力があると誓える時、それは手に入る。

今までは苦手だと、下手だからと逃げていた。それではいつまでたってもうまくならないし、何より「欲しい」と思えない。それはたいしたことが無いと自分に偽っているからだ。偽りに気づき、欲しいと望むとき、それは手に入る。

本当の欲しい

本当に欲しいということは、手に入る。そんなことないという人もいるだろう。成功を望みながら、失敗したという人もいるだろう。でも、本当に成功を望んでいたのだろうか?成功を望んでいると自分を偽ってはいなかっただろうか?失敗なんかするはずもないと、思いつつもうっすらとそれを想像したりしなかっただろうか。今ある自分は、過去の自分が望んだものだ。

今のあなたは何を欲しいだろうか?