情報化の果て

既存の情報化の限界

情報化という言葉自体が、陳腐になるくらい情報化が進んだらどうなるのだろう?問題は、情報の伝播速度(拡大速度)が人間の学習速度を超えてしまうと言うところにあると思う。新しい事を覚えたと思ったら、新しい事が出来る。新しい事に果ては無く、情報が情報を生産する。情報の伝播速度は言うまでも無く、拡大し続け、果てはどこまで行くだろうか?

本当の問題は、時系列に反比例して情報の価値がなくなってしまうところだ。今価値ある情報は、来年には半額になっているだろう。再来年はさらに半額、次の年は無料だ。学んでも学んでも果ては無く、学ぶモチベーションにしても、上の上まで見通せてしまうために、常にまだまだと、安心できるようなラインが存在しない。

学習機能の強化

だから、みんな効率的な学習法を取り入れる。学校は学習法を学ぶ場所になり、会社という集まりもそのような役割を担うようになる。学習する事が、当たり前であり、常に新しい事を取り入れるという人間が当たり前になる。一定の学習速度を保てない人間が落ちこぼれと言われるようになり、競争は距離による制限が無くなるために、圧倒的に激化し、ますます値段は下がる。小さなベンダーからつぶれ、合併、吸収により、ある程度淘汰が進む。

高速学習が一般スキルとなったころ、世の中は創造力が最ももてはやされる。学校の役割は、創造力の学習になり、創造力のガイドとなるようなものが、世の中に溢れる。このころまで進むと、こちらの業界と向こうの業界の格差がものすごく激しくなる。こちらは物に制限されない知識の世界、向こうは物に制限される世界。進む時間軸が違う。

現実とのギャップ

ただこの未来像と現実には深い溝がある。現在の知識生産者が、日本においてそれほど価値を置かれていないことだ。SEやPGにおいてこの傾向は非常に顕著だ。これは、どのような文化を持った会社を作ればいいのだろうか?また、どんな知識に対する価値観を持った文化を作ればいいのだろうか?

そして、知識生産者がどのようになればいいのだろうか?単に技術が足りないから、と言うだけでは無いような気がする。現実の労力と価値が違うような気がする。