学生と社会人の断絶と生きる目的

なぜか前回書いた、記事の評判が良かったので、補足と続きを書いてみよう。

学生のやりたい事

自分は、大学生でありながら、社会人に足をつっこんでいる(逆かな)ので、色々な温度差を非常に感じる。総じて、大学は温いと感じる。成果は結果ではなく、頑張りも評価に含めるとか。それほど、周りの人の意識は高くないように感じる。なんというか、とにかく先が見えていないのだ。こうなったらこうなる、どうしたらどうなるという事が見えていないように見える。目的意識も薄く、何を目的としているのか見えてこない。*1

それは逆に言えば、それだけそのような優しい環境であるという事だ。勉強をお金を払ってやっている事を理解している人は(自分も含めて)少ない。お客様であるという事と、逆の働く人であるということは、全く違うなのだ。学生は自分は就職して「自分が何をしたい」というように考える。しかし、仕事は逆に「お客様が何をして欲しいか」を考えるという事なのだ。ニーズが無いところに、市場は無い。市場が無いところに、お金は流れない。お金が無ければ、企業は成り立たない。「やりたい事≠仕事」ということだ。やりたい人が多い仕事は、当然ながら市場原理が働き、安く買い叩かれるし、やりたい人が少なければ高く買われる。おそらく正解は、やって欲しい事から、やりたい事を探す事なのだろう。

それでも、やりたい事の有る人はまだいい。自分を構築する際に芯がある。たまに、やりたい事がわからない人がいる。自分で決めようとしない人がいる。自分で考えて結論を出さない人がいる。そういう人を見ると、これから先がどうなるのか、失礼ながら心配になってしまう。それだけ、「夢」とか「やりたい事」とかを探せない時代なのだろうか。そういうことを考えてもしょうがないのだろうか。それとも、考えられないのだろうか。何なのだろう。

思考と行動の並列化

あれから、書けなかったことについて、考えてみた。前回書けなかったのは、「思考と行動の並列化」だという事に思い至った。今までの自分は、

「思考」→「行動」

という直列型のプロセスしか持っていなかった。
今回手に入れたのは、

「思考」
「気づき」→「行動」

という2スレッドだ。これにより、行動が思考から開放される。また、逆に思考も行動から開放される。自分の行動は「気付き」によって、決定される。気が付いたら、オートで実行される。いかに、効率よく複数の事柄を実行するかが求められ、そのフィードバックは次回の行動に有効活用される。計画は前倒しに実行され、タスクはすべて実行され、いつも何も残らない。この状態が、非常に素晴らしい。徹夜をするようなことは望ましくも、やりたくも無く、さらには自慢にすらならない。自分の無能さを晒すだけだからだ。いかに、スマートに人の何倍の仕事を定時で涼しげな顔でこなすか。それをひたすらに目指す。目指す事は「目標」で「這い回り」ながら、そこに近づいていく。常に実行は正のフィードバックをもたらし、すればするほど楽しくなり、すればするほど充実感が増す。

前は勘違いをしていた。「実行」は疲れるもの。「計画」は後回し、言い訳で思考は埋まり、ろくな生活は送れない。回れば回るほど疲弊し、精神的に疲れ、打ちのめされていた。徹夜に体は悲鳴を上げ、それでも解決策は浮かばず、なされるがままだった。辛いし、苦しいし、楽しくない。それでも、ずっと終わらないし、仕事は増えていくだけ。どうしようも無かった。頑張った。徹夜が標準だったし、それで風邪も引いたし、どうしようも無かった。撤退などという選択肢は無いのに、それを考えて悪循環に落ちる。忙しさで、人間らしい生活は出来ずに、何かが失われていく。曜日、日にち感覚もなくなり、溶けていく感触。デスマーチってこんな感じかなと思いつつも、どこかそれを「勲章」であるかのように、誇らしげに話してみせる。今から思うと、何か間違っている。

負荷が無ければ、それ以上に成長する必要は無い。今の時点で十分ならば変わる必要は無い。何を目指して「どんな人」になりたいのかを決める事だ。どんな職業に付くかという事は、しきりに周りから言われるが、「どんな人」になりたいのか問う人は少ない。人生は仕事だけではない。自分の将来像として職業だけの面だけを見つめるのはあまりに一面的であると思う。

あなたはどんな人になりたいですか?

*1:これは研究室の問題である可能性も十分にあるのだが