思考を思考する -自己成長する思考-(core ver0.84)

思考の始まり、つまり目的

私は、考えるのが好きだった。本を読むのが好きだった。何かを作るのが好きだった。たくらむのが好きだった。みんなの驚く顔を見るのが好きだった。

でも、別にただの普通の人だ。別に勉強が死ぬほどできるわけでも、何か特別になんか秀でたものがあるとは思っていない。むしろ、足りないところが非常に多い。それは外面的な部分。特に人間関係が苦手だった。そんな人間だった。

私は今のバイトを始めて一年くらい非常に苦労をした。それは、楽しいものではあったが。そして、そのような中で、一つの夢を見つけた。それは、「世の中の人を自分の作ったもので驚かしてやりたい」ということだ。

そのための手段として「会社を作る」ということも、非常に楽しく魅力的に見えてきた。「カエル」が好きな自分は「変える」ことも好きだった。

非常に飽きやすく、のめり込むときは、食事も忘れてしまう。会社を作るということは、ものすごく魅力的だった。うまくやれば、自分の好きなことを好きなだけ出来る。それは、個人でできるスケールを超えているというのが魅力だった。

1つ目の考え

そんな時に思いついたのが、「ポスト資本主義としての情報主義」だ。これは、どうせやるんなら「グーグル」とか「ヤフー」を超えるような、仕組みというか組織を作りたいと思っていたら、出てきた考えだ。

これは、簡単に説明すると、「資本に最適化するのではなく、創造に最適化する社会の理想」を考えたものだ。今の社会は絶対に次のフェイズに移行する時が来る。それは、資本の血流ではなく、情報が血流となるはずだ。そして、その情報を創造するのが創造力だ。これからは、それを最大限に引き出せるような社会に変わっていくだろうという考えから生まれた。

時代は絶対に流れる。今の時点で隆盛を極めていても、次世代で必ず交代する時がやってくる。それを、考えようと思った。そして、思いついた。アイディアというものは、ふと思いつくものではあるが、必ずその前段階の思考と思いつく目的が必要だ。ただ、いいアイディアを思いつこうということを目的としては、絶対によいアイディアは生まれない。

まぁ、この「ポスト資本主義としての情報主義」が正しいのかは自分は社会学者ではないし、その時になってみないと解らないが、近いものではあるとは思う。

2つ目の考え

それを親しい人に3時間くらい掛けて話してみた。そのあと、別の話に移りそこでもう一つの考えを思いつくことになる。

思考は1人の視点で考えていては進展しないことが多い。多くの人に自分の考えを話してみて、反応を聞くことで、進展することが非常に多い。

ただ、それは賛成、反対ということではなく、ここにちょっとした違和感のようなものを感じる繊細さが必要だ。どこか、自分ではないから、自分の思考そのままではない。絶対に十分に理解をしてもらえば、何かが出てくるはずだ。それがカギとなる。

話を元に戻そう。それは彼の感じた違和感だった。「植物の細胞の分化の際には、何か分化のための識別する物質フロリゲンがあるはずなのに、見つかっていない」という話だった。

どこかで聞いたことがある話だと思った。それは「生物と物」の分野で。それは「人間の意識と動物の意識」の分野で。

生物は物と識別する特別な物質は存在しない。それはタンパク質だったり、アミノ酸だったりすると言われるかもしれない。でもそれを抽出したら、それは生き物ではない。ただの物質だ。

人間と動物の脳の物質は、違うところがない。それなのに、一方は意識と精神があり、一方はない。それの差は何なのだろうか。

同じような事例が3つ集まった。何か共通点があるのだろう。それは、ミクロに求めてもないもので、「ネットワークの複雑な関係」が答えであるような気がした。これもまた、自分は生物学者でも、脳の専門家ではない。直観でしかないが、おそらく正しいのだろう。

2つの考えの合成

二つの考えはある意味似通っていた。どこに共通点があるのか、と言われるかもしれないが、ある一定のレイヤー(層)に存在するオブジェクト(個)の総体の関連性であるからだ。

そして、2週間くらいかかって、一つの形となったのが、「コア理論」と自分で名前を付けたものだ。まぁ、あれですが。自分が知らないだけで、そのような考え方はすでにあるかもしれませんが。

第一法則

あるレイヤー(層)のオブジェクト(個)同士がネットワークを形成する場合、帯域と結びつきを増やして、臨界量を超えると、斥力が引力に変わり、上位レイヤーのオブジェクト(個)となる。それをコアと呼ぶ。そのコアは、下位レイヤーではできない様な力を持つ。

第二法則

時系列が進むと、ネットワーク化が進む。

今のところ、このような形で考えています。これを、応用したものが前回のエントリーとなっています。

理論の応用 -思考の錬金術-

すべてのオブジェクトは、お互いに関係していて、さらに下のレイヤーに分解することができます。

レイヤーというのは、たとえば

人間関係レイヤーであれば、オブジェクトは人間で、人間同士の関連によるネットワークとなる。関係が集まると、それは組織となり、個人の持ちえない力を持つ。

単細胞レイヤーであれば、それは単細胞がオブジェクトで単細胞が集まれば、多細胞生物となり、単細胞生物ではできないことをできるようになる。

人間の組織が集まれば社会となり、それは、組織ではできない様な事をすることができる。

ということだ。

他にもこれは、熱力学の法則と対になっていて、なぜ私たちがこれだけ高度化することができたのかというのを単純に説明することができる。


すべてのものがオブジェクトであり、それが関係するものであるために、どんな分野、どんなものにも応用することができる。
前のエントリーでも書いたが、これを知ってしまうと「創造力」や「コミュニケーション力」や「人間力」や「政治力」などすべての力が同じことがわかる。もっと言ってしまえば、力学的な力も含めた力というのものはすべて同じもの、つまり「オブジェクト同士が関係する強さ」だということが言える。

適当ではあるけど、大統一理論よりも、広域的な事象としての力を表現できたことになる。

分野としては事象学なのだろうか。記号学、郡論などにも近いような気はするが。

メタ理論

ミームという考えを知っているだろうか?ミームとは「利己的な遺伝子」を書いたので有名な生物学者リチャード・ドーキンスの提唱した考え方だ。それは遺伝子DNAと同じように、文化的情報子としての情報のふるまいだ。つまり、考え方それ自体が、まるでウィルスのように、振舞うのである。

それは、マスメディア媒体、インターネット、口コミ、あらゆる媒体を使って、感染していくかのようにより最適化をしながら広がっていくことを情報子ミームとして考えるという考え方だ。これは、あらゆるレイヤーにおいて適応可能である。

私たちは意識が人間であり、そう考えているから、ミクロとマクロという人間から離れたレイヤーを別の法則が働くと考えている。それは勘違いだ。この世界はフラクタル、つまりどこまで拡大や縮小したとしても同じような構造を持っているのだ。

ということは、意識は人間だけのものではない。神の見えざる手として表現されたような、集団の結果としての知は、まるで意識を持っているかのように振舞う。というよりも意識を持っていると考えても差し支えないのだろう。

例えば、適者生存は、物理レイヤーで生物同士が生存競争をすることによって、より適応した種が残るということだが。アイディアを作ろうとする思考の中でも、経済的な競争の中でも同じことが起きている。自分たちの中を精神を持っているというのならば、同じことを行っているものも精神を持っていると言って差し支えがないのではないだろうか?

つまり、どこいっても何を見ても一つ知ってしまえば、何にでも知識を転用、応用可能であるはずなのだ。

メタレイヤー

レイヤーという考え方を導入したが、それをならべて、上位レイヤーから下位レイヤーとして関連付けると、それは木のようになる。レイヤーツリーである。それは素粒子、原子と始まって、途中で人間、組織、社会、などを通過して太陽系、銀河系、大宇宙などと連なることになる。

そして、そのレイヤー間の関係法則というのが「コア理論」である。であるから、レイヤー自体をオブジェクトとして、考えることができる。レイヤーの創造は、ジャンルの創造、市場の創造、理論の創造などがある。

自分はレイヤーの創造をしたい。そして、自分の中の理論はネットワーク論であるが故に、自ら創造し、コミュニケーションを求めている。そして、創造することを欲している。

ここまで読めて、理解できて、自分の考えとなじませてしまえば、それはミームの感染に成功したのだ。あなたが、どのようにネットワークを発展させるか、もはや自分には全く制御できない。それが、楽しみであり、怖くもある。あなたはどんなネットワークのコアになるだろうか?