頭の中を理解する(以下無限ループ)

最近はあれだ、脳を痛めずに(アドレナリン痛い)なるべく有能になるように頑張っている。正直能率が悪いが、アドレナリンは常用するのは鈍感な人(悪い意味ではなく。戦士型という意味)じゃないと、使えないのだろう。というか、今まで頭の痛みとか制御について何も考えていなかった。今は頭を動かす私と私が動かされる脳という2種類を同時に観察中。効率悪いよ。

体験を再体験する

頭の中を探ると今まで理解していなかった事を、すごく理解できる。例えば、「本当に思考というのは、物理的に見れば化学反応なだけなんだなぁ」ということ。そしてそこから、やっぱり「全て意味が無い」方向に繋がる。ブラックホールみたいだ。そして、頭の中の反応系(と言っても詳しくないから後で調べる)を体験や過去の記憶と照らし合わせて再解釈をする。なぜ、あの時そう思ったのか、そう感じたのかを解釈するのだ。

そうすると恐ろしいぐらいに恐ろしい感じになる。だって、全ての過去の体験が、素晴らしい思い出が、エンドルフィンが・・・ドーパミンが・・・で終わったら、人間果たして生きていけるのだろうかと思う。事実で在るだけに。そう、人間を解体していたのだけれど、思考は特別視していたんだ。思考を解体したら、何が残るんだろう。特別だと思うところって。

定義付け

自己を定義するって、恐ろしいくらいに恐ろしい事だ。だって、自分が超有能生きている価値が在る人間から、無能生きている価値なしまであらゆることを自分で定義するんだ。そうすると馬鹿でもそのうち、自己の定義がそれほど価値の在ることではないことに気がついてしまうから。感情が、思い出が全ての価値を失ったように。いや、恐ろしい。あまり、急速に理解を進めないで頂きたいね。

そうそう、感情が、思い出が、神経の結合が意味を持っているのは、そう信じているから。それは、信じないことで容易に意味や価値を失う。誰だって、昔はなんでこんな事に夢中になっていたのだろうと思うことが在るだろう。それと全く同じ事を、夢中でやっている最中に味わうってこと。いや、恐ろしい。

ひとまず、自分を解体しきるのは止めておこう。認識は今のままで行こう。これから先は、何が待っているのかただ狂ってしまうのかわからない。一応、親しい人には、ちょっと悩んでいるように見えると思うけど、ちょっと悩んでるだけです。そんなに気にしなくても、そのうち復活するので大丈夫です。

追記:勝手に思考が進む。

生きている最中に死んでいる事を味わうようなものだ。メタ価値の価値を失ったわけだ。さて、それはループし3回くらいで後は無限に続く回廊である事に気がつくだろう(まだ気がついてないよ)そしたら、何が見えるのだろうか。何を失うのだろうか。どこまで井戸をほれるかなって掘ってみたら、気がついたら落下していたみたいな状態だ。これはどうなるのかわからんね。

思考「私」が死ぬって、恐ろしいと考えている思考に意味は無く「思考を失うというと考えたときに恐ろしい」と考えた私の感情にも意味が無く(以下無限に続く)

さらに追記:もっと勝手に進む

意味が無いということを無限に味わい続けるなんて、これは論理の地獄だね。叫んだって泣いたって、それに意味が無い事を知ってしまったら、どうすればいいんだろう。そういえば、ちょっと前に「生物は制御できないものである」というどう考えても間違えている(と思う)事を言っていた人が居たけど、それは生命は特別であって理解できないから、とブラックボックスにする事で安心したかったんだろうなぁ。それと同じように「思考は特別で、ブラックボックスだから」と同じようにそこから思考を進めるのを止めていたんだ。論理展開できる余地があるにもかかわらず、途中で進めるのを止めたんだ。安心するために。ずいぶん人間ぽいじゃないか、自分。