ネットワークの成長と帯域の制限

ネットワークの帯域は上がり続けるか

http://s.hatena.ne.jp/

はてなスターという機能が実装された。上のAddStarというボタンを押すと星が増えるというものだ。はてな界隈では賛否両論で、どちらかというと否定的に叫んでいる人のほうが目に着く。まあ、まだ新しい機能だろうからもろ手を上げて賛成するというには使い慣れていないから、反対する人の声が大きく聞こえるのだろう。自分はどちらかというと、コメントよりは楽だと思ったりする。コメントはコストが高いから、面白い試みだと思う。そこは置いておいて、なぜこんなにも反対する人がおおいのだろうか。

大まかに分けてみると3つくらい意見が在るようだ。

  1. 勝手につけるな!(機能のON、OFFの選択が出来ない)
  2. デザイン合わない!(黄色い星は濃い色のブログに合わないよ)
  3. 機能的な嫌悪感(そんな余計な機能いらない!)

上の二つはそのうちどうにかなるだろうし、ここでの問題としては扱わない。自分が興味深いのは一番下の機能的な嫌悪感である。このはてなスターでは、誰かに星を着けたら、誰が着けたのかが見えるようになっている。これが馴れ合いコミュニティになるような嫌悪感を抱かせるようだ。これで思い起こすのはMixiにおいての馴れ合いコミュニティである。帯域を区切られた小さい世界で、皆が皆を監視できる場所。これがうまく言っているときは問題ないが、一つこじれてしまうと、深く強制的に繋がっているが故に、コミュニティがあっと言う間に腐ってしまう。

また、誰が来たなどの監視が可能なので、閲覧、コメントの半義務化などが起こり、色々ごたごたするらしい。

P2P型ネットワークの崩壊とインセンティブモデルの変更

中心の存在しないP2P型ネットワークは、外敵からの防御に優れている。それは、それぞれがネットワークのセンターを冗長化したものだと考えれば容易に納得が行くだろう。インターネットが核攻撃からの防御のために分散化するために発生したのは、けして偶然ではない。自然界でも経済圏でも情報圏でも同じ事が行われている。オブジェクトは存在が消えないように自己をコピーする。

ネット時代のランチェスター戦略
バズマーケティングとか、炎上をコントロールする技術とか、たぶんウソ。

いろんな人が試行錯誤を繰り返して、膨大な失敗事例を積み重ねていく中で、たまたまいくつかが成功したり、あるいは外れた予想がいい方向に転んだり。

ネットワーク科学は、おきた事を説明するためには使えるけれど、これからおきることを予想する役には立たない。

それを認めると経営コンサルタントの仕事がなくなってしまうから、上手くいったような事例を集めて、さも自分達でコントロールしたように見せかける。

ネットワーク化したコミュニティの振舞いは、変動幅ばかりが大きくて、予想をするのは困難で。

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/07/post_514.html

P2P型ネットワークは制御が難しい。それは、1つのノードではそのノードを介することなくネットワーク全体を動かす事が出来るから。上下の在るピラミッド型では頂点を制圧すればいいが、P2P型はそれがマジョリティになるまで制御するのは困難だろう。P2Pネットワークには弱点が存在しない。そのため物量作戦で潰しきる以外に、ノードの干渉でネットワークを制御する事は出来ない。

もう少し簡単な方法は、ネットワークの存在する場に干渉するやりかた。これももともと物量を持っている必要が在るが、今はまだ「国」はそれだけの物資と権力を持っている。最近のネットを厳しく監視、逮捕、著作権を制御しようというのは「国という構造」と「インターネットという構造」が戦っているとも考える事が出来る。ディレクトリ型ネットワーク(ピラミッド型)とP2P型ネットワークの戦いだ。おそらく、全世界で戦いが起きている。戦争とも言っても問題ないぐらいだろう。資本経済社会と情報経済社会の戦いだ。たくさんの戦死者(情報の死と経済的死)が在るし、これからはもっと戦火は広がるだろう。これはどちらが優れているかという構造型の戦いでも在る。電子的ネットワークによって、現実の次元が増えてしまったのだ。また、ネットワークも流動的になり、流動的な民も現れている。ニートは経済社会と情報社会の戦火によって、溢れた難民としてみる事も出来る。

帯域制限

P2Pネットワークは、これから先どうなるのだろうか?帯域が溢れて、世界が一つに解け合うまで進んでしまうのだろうか。それはそれで地球人という1人になるというSFみたいで面白そうだが、実際にはそうはならないだろう。

脳細胞は3〜4歳で、大幅に減る。これは、その間までに学習して、効率のいい回路だけを残して非効率的な回路を殺してしまうからだ。同じ事を学習でもやっている。理解とは、情報の捨象、抽象によって一つの概念を認識することだ。それまでに存在していた重複する情報を「似ているもの」から「同じもの」として扱うことで、世界を理解する事だ。ここでも情報は多数棄てられ、殺される。ブレインストーミングも同じだ。情報の組み合わせを作り、それを間引きすることっで最終的なアイディアを得る。

間引きは、健康的に成長するために必要な作業だ。間引きを怠れば、伸びるだけ枝が伸び競合が起き、うまく成長できなくなる。生物でも細胞はアポトーシスされるし、人間同士でも戦争によって、法律によって人を人が殺す。帯域制限と、シュリンクはより大きく構造化するために必要な作業だ。これはつまりオブジェクト化するということなのだが。

オブジェクト指向プログラムでは、情報にフォーマットを作ることによって、表面のオブジェクトインターフェイスを整える事によって、帯域制限を行い、プログラムをオブジェクト化する。フォーマットが無い方が在るより自由が効く様に思えるが、実際には大きな構造物を作るときにはコストの逆転が起きる。メタ化し、オブジェクト化しなければ、大きな構造を何層にも渡って作ることは非常に難しい=コストが物凄くかかる。言語が思考にフォーマット(制限)を作ることで、逆に多様性を増したように、思考群にフォーマットを作ることで、また多様性を増す。これが思考群のフレームワークであるオブジェクト型思考だ。

ネットワークと多様性と帯域制限

マクロで帯域が増えることと、ミクロで帯域が減る事は矛盾しない。ミクロでネットワークフォーマットが決まる事で、逆に全体で見ると帯域が増える。これはTCP/IPによって、インターネットが構築されたのと同じだ。プロトコルを作れば制限は増えるが、それが故に大きくフォーマットに沿った構築物を作ることが出来る。

はてなスターは、全体では帯域を減らすが、ミクロでは帯域が増えるだろう。そして、ネットワークの場を変化させた事でまた場の温度、流動性が変わり今までと違う個性を持つネットワークに変わるのだろう。これはもので表すと温度の上昇とかではなく、物性の変化だ。原子レイヤーでは核融合核分裂を行わないと、そのような変化は得られないが、人のネットワークはもう少しやわらかく出来ているようだ。