ソーシャルエンジニアリングの技術はまだか

たまには直列思考を書いておこう。あと、レイヤー思考の例として。

可視化される世界を作り変える技術:オブジェクト化→制御

ようやく、世界は可視化できるようになった。それはインターネットの神経が社会のあらゆる部分にまで浸透したから。さて、浸透してそれらを制御できるような技術がこれから作られるはずだ。ただ、最初からうまくいくわけはナイだろうけど。あと、今は政治という部分をどうしても触りにくい聖域となっているので、この殻を壊せたらなのだろうけど。

取りあえず、可視化された系をどのように制御するかというのが、今後の課題になるわけだ。それはさながら熱力学に似ているものになるだろうと予測される。社会科学系はおよそ理解がもっぱらの仕事だけど、社会工学系がそのうち現れるはず。まぁ、今の官僚なのかもしれないけど。学問としてマーケティングや政治、生態系等に応用できるような学問だ。

政治の世界は複雑系

政治の世界は正しさが支配するわけではない。これは経済においても、およそあらゆる要因が複雑に絡む系は、科学での扱いが難しい。それは、やたら抽象化しづらく、したらしたで精度が悪かったりするからだ。

例えば人間一人すらシミュレートできないのに、社会全体をシミュレートできるのだろうかという問題だ。正確さを棄てて、ある程度の精度で理解し、例外事項が起きたところで新しい包括理論を作るというのが今までの仕組み。しかし、これだけあらゆるものが繋がってしまうと単純化すら難しくなってしまう。原因がどれで、結果がどれとは一概に言えなくなる。ましてや社会なんて2度と同じ状態になるわけではないから、そんなものがどれくらい役に立つのかははなはだ疑問でもある。

それでも理解は大切で、後追いでも理解していないと(つまり結果に対する原因を作らないと)不安なのだろう。今の時代は非常に社会制御が難しくなっている。例えばマスメディアに対する不信だとか、政治に対する不信だとか。何をしたから、どうなったというのは非常に理解がしづらく、およそ振る舞いは一定ではない。

生態系内での生存戦略
お互いが対立している状況で生き残りを賭けるなら、とるべき手段は簡単。自らの長所を最大限に宣伝して、相手の欠点をあげつらうだけ。

このやりかたはシンプルで分かりやすくて、その効果が読みやすいにもかかわらず、実際これをやってみると、かえって自分のイメージを悪くしてしまったり、相手に塩を送る結果になってしまったり。

おそらく世の中は、「対立」でとらえたほうがいい状況と、「生態系」で捉えたほうがいい状況とがあって、「対立」状況ならば、ためらいなく、一刻も早く打てる手を打ったほうが勝てるだろうし、それがうまく行かないならば、それは状況の捉えかたが間違っている可能性がある。

  1. 外界に対して「閉じた」系を想定できる
  2. 生態系内でのプレイヤーは、お互い穏やかなつながりを保っている
  3. 各プレイヤーは生態系の設計図を意識することなく、自らのルールに従って行動している

こんな条件が揃っている対立状況ならば、おそらくそこには「生態系」が出現している。

ただの競合関係から、お互いの存在に意義を認めあう、生態系の関係へ。

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/09/post_541.html

熱力学と同じで、生態系も閉じていればその制御と予測は開いているものよりは、物凄く楽である。今までの社会工学は、その閉じたものに関しての工学だった。これからは開いている複数の系に対しての工学技術を作る必要がある。

それらを行うためにはある程度一貫とした権力機関が必要で、日本の今の政治システムは一貫とした政治よりも、あれだめこれだめですぐに、首が挿げ替えられてしまう。これは最も最悪な状態だ。ある意図を成し遂げる前に、降ろされたのでは何も成す事は出来ない。これはマスメディアの完全なる集落まで続くのだろうけど。

日本という系と人間という系

日本という生態系を支配する政治という仕組みは、今の世の中の変化についてこれないのではないだろうか。まぁ、そんなことを言っても変えるためのコストが膨大すぎて、笑えて泣けてくるけど。変化をしないことを前提としてシステムを作ってしまった付けなのだろう。全ての層が依存系で、帯域を切り離せないでネチャネチャしたシステム。それが日本。ハードウェアの限界まで引き出すのは出来るけど、目的が変わったときにシステムを組み替えるのが物凄くコストがかかる。共感覚者と同じだ。彼らはハードウェアの限界性能まで引き出せる代わりに、変化に対する可変化性を失ってしまっている。あれでは生きるためのコストは膨大になり、興味以外の帯域を閉じなければ生きにくくてしょうがナイだろう。

そんな訳で、制御の基本のどのような方向に向かうかという意思決定機関の基本システムが変わるコストがかかりすぎているため誰がやったとしても、うまく立ち回る事は出来ない。ハンドルをきってから10秒後にタイヤが動き出す車は、時速10Km程度だったらまだ運転できるだろうけど、それが30Km/h、100Km/hと変化していると誰が運転したところで事故ってしまう。完全予知能力者は別だろうけど。それは人間ではないだろうし。系の外側の神様ぐらいだろう。

政治の方向がどうのという問題ではなくて、政治機関の実行帯域が細すぎるのが問題だ。新しい政治家が大きくハンドルを切ろうとしても、安全装置(官僚、マスコミ)が働いてどうにも動けない。難だよこの車。そして、その車のシステムを変えることも馬鹿みたいにコストがかかるんだから。日本というシステムは沈むまで直せないのかもしれない。これだけシステムが老朽化すると、直すよりも新しく新規作成したほうがコストは少なく済むのは明らかだけど。年金システムと似ている。

外の人は馬鹿みたいと思うけど、中に入ると色々な縛りが多すぎてどうにも身動きが取れない。
こういうときは、小さな素早い意思決定機関がぱっと結論を決めて、変化を行う方が早いけど。例えば人間の感情はこのような役割を果たす事で思考のフレーム問題を解決している。しかし、日本の価値評価システム(マスコミ)はおよそネガティブすぎてあらゆることが却下される。それは価値評価システムが、ネットによる新しいシステムに切り替わろうとしているからで、そちらに権限を渡すまいと必死なのだろうけど。現実問題はどんどん悪化していくばかりで。

破壊的再生をするべきだろうし、システムが老朽化したときには、ちゃんとエクスポート機能を付けましょうというお話。エクスポートとインポートが簡単に出来るようなシステムにしておけば、移行は簡単なのに。昔はそんな事を考えられるほど楽でなかったのは知ってはいるけど。どうにかして欲しい。取りあえずこのネチャネチャな依存層を、一つ一つ切り離して可視化してオブジェクト化してしまいたい。

誰かそんなバッチファイル書いてくれないかな。
いや、バッチファイルではなくて、このシステムの記述言語をオブジェクト指向の言語に変えて欲しい。今なら、経験豊富なSEもたくさんいることだし。オブジェクト指向はまだそんなに使われていないだろうけど。これからの国家戦略としてオブジェクト指向にするのは正しいと思うし。