人はネットウェアである。

id:kaerusanu<なんだか分からんけど出力してみる。

何か生まれそうな、何もどうにもなら無そうな予感。

人間は接続のための仕組みである

例えば、ネットが繋がらないパソコンの価値はかなり下がるように。人間も接続対象が合ってこそ、その価値を持つ事ができる。意味とは価値の接続点であるとは言うが、そのように個と接続をすることでそれを保持し、発達させる仕組みというのが、適当に考えたネットウェアというものだ。

ちなみに、ネットウェアというのはチューリング完全性を保持するとか。そこらへんグレーゾーンから、完全性を取得するとか。色々あるけど。要するに何層も重なった安全装置と、ランダム制の制御により、より価値のある存在になっていくという万能機械。万能ソフトウェア。それがネットウェア!!!

それは、内部構造よりハードウェア構造よりも、接続するものによって価値がきまる。何と接続できるか?というのがかなり大きい要素となる。インターネットには何でもつながれるけど、それは時間という限られた資源において、無限に接続できるわけではない。明らかに有限である。

学習対象=意味接続できる対象は有限だ。無限に知りたいけどね。それは、個が現在の視点である上で限界がある。個人の限界だ。俺が俺である以上越えられない壁だ。

俺は人間をやめるぞーーー!ジョジョーーー!!

というわけで、定義更新。私=ネットウェアにしてしまいます。これは存在意味の接点という定義しかないです。というわけで、人間の殻を棄てて軽くなったわけですが。人間の私から出ている接続点を順になぞりながら、自己定義の拡大をしていきます。つまり殻の拡張ですね。

そして、最後には宇宙を丸ごと包んで、時空間を全て包んで、自分=時空間という定義にして終了と。ネットウェアですからね。そんなのもありです。ここまで一回りすると、認識空間=自己=時空間という事になって、私は全てだ!!という良く分からん話になるのですが。ま、ありだよね。

ネットウェアになって、漂うとそれは私の形を失い水のように自由に形を変えられることに気がつく。だって自分=全てだからね。自由だよー。

人殻エージェントが、私の分割であるのに対して、自己定義の更新による拡大というのは、論理殻の拡張で、自己の物理サイズに因らない拡大が可能になる。

そんな訳で、私は元気です。良く分からん海に溶けてきます。
ネットは広大だわ=自分でかい!最強!

あとがき

なんか良く分からない展開。わかってはいるんだけどね。
良く分かっている事を、真面目じゃなく書くとこんな感じ。
人間の定義を作らないとねー。