絶対悪とはなんぞや?

id:kaerusanuいや、全然関係無い話なんだけどね。ただ、言葉遊びがしたくなったんです。安西先生、言葉で遊びたいです。

正義の勝ち軸に敵対するのは「悪」でなく、「別の正義」。

正義に「絶対」はないように、 反論を許されない「絶対悪」なんて存在もまた、せいぜいゲームの世界にしか存在しない。 叩かれても変わらない。依って立つ正義が違う人達と議論するのは、たぶんすごく難しい。

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/27

絶対悪ってないよねー。そういえば。

無いんだったら、作ってみよう。まず、悪の定義から。悪とはなんなのか。悪いとはなんなのか。多分、「群における成長とは逆の方向に動く事」なんじゃないかと思った。

絶対悪「部屋の掃除をしない」

うむ、ならば「部屋を掃除しない」というのは絶対悪だ。誰がどう見ても悪だろう。いや、それが巧妙に配置された使いやすい構造だと言われたら、それは悪ではなくなってしまう。

絶対悪「人を殺しまくる」

うむ。難しい。ならば、「人を殺しまくる」とかはどうだろう。確かに悪っぽいけど、1人殺せば犯罪者、100人殺せば英雄。100人殺しても大丈夫!脅威の日本刀みたいな。どちらかというと、その可能である力の方の使い方に走ってしまう。核の抑止論みたいな。力というのは使いようですからね。ベクトルによって悪も正義も変わってしまう。しかも立ち居地によって、逆ベクトルに見えるから困るわけで。

絶対悪「悪魔」

次行こう。ベクトルの立ち居地によって、変わるんだったら、誰から見ても物凄い遠くにベクトルを配置すればいけるはず。えーと、例えば悪魔とか。悪のための存在。定義自体が悪。おー、これなら容赦ない絶対悪だ。ただし、限りなく事象の水平線上にいます。遠すぎて、あまり面白くないよね。じゃあ、没。

絶対正義「神」

逆の絶対正義って言うものを考えると、あー「神」とか「世界そのもの」とかになるかな。でも、創造と破壊というのは表裏一体だからね。何かが作られると何かが滅ぶはず。正義って言うのも微妙だなぁ。結局ベクトルそのものの定義を固定しないと、定義そのものをそれと定義しないと難しいのかな。

絶対悪「熱的死」

これは悪っぽい。いかにも、宇宙が死にましたみたいな感じが漂っている。これは絶対悪じゃないんだろうか?そこに観測者が居ない?え、悪と正義って観測問題なのだろうか。あ、そうなのかもしれない。それは困ったな。何が困るかって?観測問題って複雑なんですよ。

人間性は、天才性は、生物性は観測される。

意識っていうのは、無いらしい。いや、あると思うらしい。「ある」というのは、あると外側から観測しているらしいのだ。人間性もまた同じで、それ単体での「存在」を主張できないものらしい。天才性も同じ、天才に近い人がいないと、その天才性というものは観測できない。天才として認めることができるのが、天才しか居ないという、なんだか矛盾した状況が発生する。

悪と正義も観測問題なのだろうか?それは、ある位置から観測されたから、生じるものなのだろうか?ああ、相対論みたいに、価値観の相対的なもの、価値ベクトルの絶対差が観測されるんだな。そして価値観には0ベクトルというのは、「価値が無い」なのだから。

そして、その価値が無い事すらも、価値ベクトルを持っている人には、逆の価値を持っているように感じられる。え、そうなの?なんか、おかしくないか?なんか、芸術の現代芸術のカオスっぷりとかを思い出したりするけど。どうなんだろうか。例えば、「無」に価値が無いかというと、多分あるし。「0」にも存在する。

それはそれ自身に価値があるのではなく、観測者の価値の逆ベクトルが見えているだけなんだけど。そういう意味で、自分の価値というものは計測しにくいものではある。価値のあるなしも、絶対無というものがないんだから、絶対悪なんて無いよね。定義そのものを具現化すればいいけど、その存在自体は見方次第で悪でも正義でもあるはず。

観測するのって難しいなー。