努力を積み重ねた末に成功するという物語の毒

天才?

あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則

自分を「天才」化できるか?

後者の「時代のタイミング」は自分ではなかなか選べませんが、前者の「10000 時間の積み上げ」だったら意識的に人生設計をすることでできなくもありません。…とはいえ、10000 時間というのは途方もない時間です。10000 時間の積み上げを2年、5年、10年で行おうと思うと、毎日次の時間が必要です。

2年:10000 / (2 x 365) = 13.7 時間
5年:10000 / (5 x 365) = 5.4 時間
10年:10000 / (10 x 365) = 2.7 時間
これで見ると、2年というのが如何に非現実的かわかるかと思います。やはり、「天才」は数年にして成らずなのです。

10 年で見るなら、一日に 3 時間未満ですのでそれほど無茶な数字でもないですが、仕事をしていて、さらに趣味で大成しようと思ってもなかなかこの「3時間」は確保できないでしょう。学生時代の積み上げがいかに大切かということを表しているといっていいと思います。

よし、俺は睡眠を一生懸命努力するから、4年足らずで、睡眠の天才になれる!!!
みなさんも4年以上生きていて、自分が睡眠の天才でないというのなら、それは努力が足りないのです。
むしろ、生きていることなんて1年半くらいで努力さえすれば天才です。生きる天才、これはすばらしいですね。みんな生きる努力をすればいいんだと思うよ。同じように息の天才、食事の天才、思考の天才、何でもなれるよ。天才になれないのは努力が足りないからだ。

なぜそれを「努力」と呼ぶのか

すごい物を見てもへこたれない人

友人が、物凄く絵が上手いんだけどさ。
でも最初は下手だったんだよね。たいしてうまくない自分より下手だった。
でも急激に成長してる。今はもうホントに上手い。絵で仕事もしてる。
2chのスレでもよくある、「上手い人見て凹んで描けなくなった」とかいうやつ。自分も上手い作家さんとか見たりするとああいう気持ちになったり、年下なのに上手いのとか見るとホントへ込むんだけど、どうやら友人はそういうのが無いっぽい。前その辺語ってて判明した。

「できない」って思わないみたい。なんか。
すごい人見ると、即座に「そうなるにはどうすればいいか」「自分に何を+すればそうなれるか」「そして+する方法は何か」を考えてる。
だからすごい人を見たほうがモチベーションとか上がる。みたい。
目標が目に見えて分かるから寧ろ嬉しいらしい。

対するこちらは、より強いモチベーションを保ちつつ、めげずに努力する人の物語ですね。うそだけど。まぁ、天才論議はいいとしても、こういう形の「時間は質に変わる」というのは、必要である人には必要なんだけど、毒もかなりあるんだよね。努力じゃないよ、積み重ねだよというのだろうか。積み重ねとか努力というのは、目的がすでにずれているんだよね。行動じゃなくて進むベクトルがずれている。

「すごい物をみてもへこたれない人」というのは、恐れずに素直に感想をもって、嫉妬せずにという潔白てきな精神論ではないのです。おそらく彼は、すごい物をすでに自分に取り込んでいる「未来完了系」で物事を認識しているんだと思う。「私ではないもの」がすごかったりすると、どうしても自分との対比、自己との葛藤になってしまう。嫉妬しないとか、変なルールを自分につけても無駄。だって、認識の構造がそういう構造になっているんだから。

「努力」のために自分に物語を作る人と、「結果」のために物語を作る人というのはどう見ても違う。努力といっている時点で、それは「自己の中に」その努力の先に到達するものが含まれていない。連続した自己の先には、天才など存在しない。非連続のひらめきの先にこそ、天才はいる。天才になるためには、ひらめき続ける必要がある。

だって、業界トップとかそんなレベルじゃなくて、「天才」だよ。歴史に載ってしまうかもしれないし、なんだかよくわからない伝説とかがアンサイクロペディアに乗っちゃって、「うそかと思うかもしれませんがこれ全部本当です」とかかかれちゃうんだよ。時間を費やせば、努力を重ねて、という話で到達できるはずがないと思いませんか?

時間×質=成果のうそ

努力を奨励する物語はいつもこういう方程式を持ってくる。

時間×質=成果

本当に本当?あとは成果を出す前に感動的なエピソードをごっそり挟めば完璧だ。洗脳完了!!いっちょ上がりである。

さて本当は、「運」だってあるし、「ひらめき」だってある。

(時間×質)^(ひらめき×運)=成果

この式はやばい、努力したくなくなる図だ。とりあえず(時間と質)を適当な数にあげてから、ひらめきまくろうという話になる。運?それ、操れるの?物語としては、時間と質よりも、とにかくひらめくための話になる。物語にしてしまうと、やっぱピンチになるとこいつは、誰も考えやしない方法で切り抜けるぜとか、おいおい主人公修正強すぎだぜ!やってられねー!という物語になる。でも、天才ってそういうものだよね。

まーひとつのことに集中すると、それはもう時間を使ってしまうわけでそういう理由で10000時間が必要なんだろうなと思うわけです。結果としての10000時間であって、努力を積み重ねた10000時間では意味がないのです。たぶん。

そんなわけで、努力の物語は一見美しく見えたりするけど、努力なんかしてないよ!努力だと思うのは、あなたがこのことをすることが少なからず苦痛だと思っているんだよ!楽しかったら、それは努力とか積み重ねなんて言葉使わないの。

努力が足りなかったとか、そういう物語で、他人との違いを納得しようとしているだけなんだよ。比較じゃ人は成長なんかしない。本当に必要なのは、自分の中に取り込める能力。自分との差を認めるとかじゃないよ、自分の一部であると信じられる能力だよ。自分がすでにできた!と確信を持てることだよ。そういう「ひらめき」なんだよ。