感情の制御と離散的な思考の解
感情の制御と離散的な思考の解
http://d.hatena.ne.jp/ruicc/20090410/1239405818悲しみの仮想化
悲しみを仮想化して、俺への影響を少なく出来ればいいわけだ、と思った。
それは人格の仮想化と同じであるのだろうか。つまりは多重人格のエミュレートなのだろうか。特定の感情をほうり投げるにつれて次第に他のものも吸い込まれるようになり、結果俺は感情を無くしてしまったりするのだろうか。もしくは何かの拍子につながりが切れてしまって本当に人格が分裂してしまったりするだろうか。それは正直俺の友人やらに迷惑掛かるだろうから望ましくないのだけど、今までと同様に処置するのもあまり良いとは思わない。というかブルックナー演奏以降、音鳴りが複雑に豊かに鳴るようになったというのに、それを失うのは少々もったいない気がするのだ。ようやく映画やアニメや小説や会話など、いろんなものを楽しめるようになったというのに、傷つくたびに感情を絞るのはひどくかなしい気がするのだ。
ふむ。おもしろい。仮想化はできるよね。
多重人格というか、自己の幻想(自我)を守るために、色々やばいときにはエスケープとして自己の内部にフィードバック用の人格を用意して、会話をしたものです。*1
今は、大変ではなく、むしろ楽しいので、自己の内面コントロールに使うだけですが。たぶん、人によって感情は違うのだと思う。
自分は、感情を使う。論理を揺らして新しい物を作るために使う。あまりに強すぎると引っ張られすぎるから、自分で遊べる範囲内でね。自分とは使い方は違うけど、世の中の人も感情が欲しいんだろうなと思う。感情というのは、世界とのフィードバックとのエラーで、新規情報の発生の証左なんだ。だから、感情は殺さない方がいい。私たちが生きている、世界と関わっている証拠なのだから。
人は天才を夢想する
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20090406/1238950447天才になれる秘密
天才というのはコピーがうまい。
凡才はひたすら努力する。
たぶんこれが真理だ。天才というのは自分でゼロから発明しようとはたぶん思わない。
宮本茂はスーパーマリオを
「これまでのいろんなゲームのいいとこどり」と言ったがそれはつまり
コピーの組み合わせでオリジナルを作ったわけで、
ゼロから1を生み出した訳じゃない。
ブクマとかコメントが色々になっているけれど。まー一般的に天才なんて、ただ他の人とは違う才能とか持ってたりして、その差分が埋められない物であると言うこと、それが誰から見ても自明であることだと思うのだけど。
所詮はただの概念だ。自分が使いやすいように加工してやればいい。自分が天才じゃないと絶望するくらいなら、天才の概念を書き換えて「もう少しで天才だ!ひゃっほーー!!」すればいい。我々は、別に概念のために生きているわけでもないし、そんな義理もない。
理系人間の落とし穴
客観的に物事を見ることができるという幻想。我々は主観的に見ています。そしてそれをハックすることで、人生を豊かにすることができます。科学的に正しくないからといって、血液型占いを信じている人をおとしめたり、馬鹿にしたりしても、豊かな人生などやってこないのです。むしろ積極的に、遺伝子占いでも創造すると良いです。
ようするに、論理が強すぎると、「世界に参加する自分」という構図になってしまいがちです。どちらかというと「自分がいるのがここ」というほうが楽しめるわけです。言語的な人間はそういう感じですね。
離散的思考才能
ちょっと天才の話に戻るのだけれど。自分が創造の時に思うのは、自信が無く敬虔な態度を取っていると何も思い浮かばないと言うこと。逆に、傲慢で思いこみが激しくやっていくと、いくらでもアイディアを思いつく。しかし、実生活において、傲慢で不遜な性格で生きていくのは、色々軋轢とかあるので、できれば回避したいという天才-傲慢ジレンマが発生するわけです。
今までは、交互に繰り返したりして、安定稼働というのが難しかったわけです。アイディア炉は、かなり整った条件を提供しないと安定稼働をしてくれません。さらに、加速し続けると傲慢による熱崩壊を起こします。それの解として「感謝」を使えば良いと言うことに気が付きました。
感謝というのは、他者に対する存在を認め、許し、肯定することだとおもうのです。他者を認めながら、自分も認めるという高度な感情構造を取っています。関係性の感情というのに近いです。この高度な感情は、驚いたことにアイディア発生における安定と、他にも完全集中*2するときの安定に使うことができます。
たぶん、存在関係性安定剤として強力に肯定するために、よけいなリソースを他にさく必要が無くなるためだと思うのです。そんなわけで、今日も感謝をしながらプログラムをしようと思うのです。感謝は、楽しいですよ。