なぜ、あなたが世界征服が出来ないのか?

天才と秀才の違い

天才はなぜ天才足りえるのか?秀才はなぜ秀才の壁を超えることができないのか?それはフォーカスする場所が違うからである。天才は、モデリングに焦点を絞り、秀才は最適化に焦点を絞る。

学校で学習することは、すべて事象のモデリングモデルを学び、最適化の手法を学ぶことである。つまり、既存のモデルを学び、そのパーツの上で最適化手法を学ぶ。以下にその最適化度を上げ、そしてその最適化を早くできるかということまでしか、学校では学習出来ない。何故ならば、評価のコストが大きすぎるからだ。

秀才は既存の道を最適化し、天才は新しい道を探す。結果は大小で示すことができるが、行うための手法が全く別のものとなる。

最適化は限界がある

最適化には、限界がある。それがサラリーマン巡回問題のように計算量が必要だというのならば、単に計算量を増やすだけでとけてしまう。それはたしかに、解ければそれだけのメリットは増やすだろうけど、皆同じ問題を既存のモデリングで行っているので、劇的に変わることはない。

それを超えるためには、モデリングの最適化が必要となる。モデリングとは、この世界をどのように認識するのかを規定する事だ。この世界をどのように見えるのかを決めることだ。現実の世界は、膨大な情報量があり、それを骨だけにしてやらないと私たちの脳では計算が出来ないのだ。これは計算容量と記憶容量、観測能力の問題でそれらのバランスが変われば、認識ソフトウェアは大きく変わるはずだ。

認識は選択である

世界は認識で出来ている。認識は選択の最小単位のことだ。どのように世界を見るのかを決定することができる。これは人間の中で最大に自由が聞くところであり、あらゆる情報の根本である。モデリングというのは認識に依存し、最適化度というのはモデリングに依存する。よって能力というのは認識創造力に依存し、どの根本から弄ることができるかが、天才と秀才の差を作る。

天才は認識を作り、秀才はモデリングを組み立てる。だから絶対に超えることの出来ない壁があるし、その壁を天才は簡単に崩してしまう。

認識で世界は構成されている

世界は認識で構成されていて、大抵はそれは外部からのコピーである。コピーということはコピー元があり、創造者がいる。創造者は、そのコピー先の人の思考を規定し、操作ができる。ゲームをプレイして勝つために一番強い勝つための方法はルールを作ることだ。ルールを作るということは、権威になるのではなく、認識を創造することだ。

偉いからルールを作れるのではなく、ルールが作れるから偉くなる=操作できるのだ。この世界の振る舞いは、より根本を変化させながら、行動を行うものが最も益を受けるように見える。アナタはこの世界がどのように見えるだろうか?