おいしいところからかじってみる

最近ようやく気がついた。新しい分野を学ぶとき、基本からきっちりやるのではなく、おいしい部分からつまみ食いすればいいのだ。私の経験としてきちんと学ぼうと思えば思うほど、得意でなくなるやりかた、つまり基本からきっちりやってしまい、その結果投げ出すというのは興味深い。逆にうまくいったのは中途半端においしいところだけやったものばかりだ。おいしいところをかじった後にやりたければ基本をやるのだ。最初はおいしい部分だけ食べればいいのだ。

自分の例

今、実際問題としてシステム開発の案件をいくつか抱えている。そしてそれが幸運なことに自社内開発であるから、割と開発期間に余裕が取れた。しかし、僕の悪い癖?としてついもっとよい方法で作ることが出来ないかということを常に考えてしまう。それは趣味レベルならまったく問題ないのだが納期が存在するときは、未知の技術の方がすばやく素晴らしいものが出来そうで、今後もこの技術を使えば非常に楽になるという誘惑に駆られたとき、つい誘惑に乗ってしまい自分の技術レベルの数段上の技術に手を出してしまうことになる。しかし、大抵というか、ほとんどというか、全部というか、いかんせん回りにその技術を持っている人がいない。そこで本やWEBなどで情報を探して学習していくのだが、それを何度も繰り返すうちにうまくいく場合の共通点を見つけたのである。

Doおいしく食べる?

それが「おいしいものから食べる」ということだ。これは、一部の基礎のいらない技術(またはすでに基礎がある)では、なるほどそうかもしれないと思っていただけるだろう。それは見れば分かる、理解しようとすれば出来るレベルであるからだ。また、そういうようなレベルであるならば例え最初から順に追っていっても理解できるだろう。


問題は今現在基礎がないときだ。二段か三段一足飛びをしようとすると大抵つまずく。逆につまずかない方が少ないだろう。そのようなときは今までの基本からという学習法ではまず長続きしない。それは努力が…根性が…決意が…という話で、結論を付けがちではある。しかしその結論は当然「できなかった」という烙印であり、とても自信となるようなものではない。そして、これが何度も続けば「自分には能力がない」などという不名誉な烙印を自分で押すこととなってしまう。これは非常によろしくない。それは、自信喪失でとなり人生をも蝕む害虫になってしまう。


これをどうすれば回避できるだろうか?やる気、根性、決意というのはある程度必要であるが、使えば消耗する消耗品であるためできるだけ使わずにおけるなら、使わなくても学習できればよいに決まっている。第一、毎回根性で乗り切ろうなんて、超人でもない限りどだい無茶な話だ。どうすればよいのだろうか?


話は簡単だ。何しろ前提条件が間違っていた。基本が大切だというのは「正しい」。基本「から」という部分が間違えている。どんなことだって基本が面白くないことであるのは基本だ。まれに基本が好きな人がいるのかもしれないが、どんな頭の構造をしているのかぜひ教えていただきたい。基本に対して応用は華々しく、出来ることも基本に比べれば何段も大きい。それはすなわちおいしい。だいたい、基本を学ぼうとするモチベーション自体が応用をこなせるということが元になっている。

あらかじめ用意した反論に対しての反論

基本をやらずに応用なんてできるのか?という疑問も当然あると思う。最初は他人の作った模倣でもいいし、他人の作ったものでもいい。何が大切なのかと言えば、それはおいしい味を覚えさせることだ。


料理に例えるならば基本からきっちりというのは、作る料理を食べたことがないのに材料の選定、包丁の使い方、米の研ぎ方のみをマスターしなければ、けして料理を作らない。ましてや食べるなんてとんでもないという勉強の仕方である。これでは楽しくないから、当然長続きなんてするわけがない。


一方、おいしいところから食べるというのは、とりあえず他人が作ったものでもいいから、一番おいしいところを食べてみるということだ。料理の味を知って初めて、こんなものを作りたいと思い、自分で出来ることを夢見るようになる。そうすると苦労することなく、基本をすることが出来る。これは楽しいし、おいしい。

具体例:プログラム入門の本

具体的な話をしよう。例えばプログラムの入門の本は大抵1章をクリアして、2章、3章と話がつながっていく。これはよくある話で1章が理解できないと2章が理解できないような構造になっている。このような場合、どうすればよいのだろうか。どう考えても1章から順番にやるしか方法がないように思える。応用の10章を今読んだところでさっぱり理解できないのは目に見えている。

さて、どうすればいいのか?答えは同じことを繰り返すようで悪いが「おいしいところから食べる」である。つまり、10章から読めばいい。別に理解なんて要求していない。読むと言うより眺めるというのが近いだろう。とりあえず、応用からどんなことが出来るようになるのかということを知ることが大切だ。とりあえず、わけもわからないがこんなことが出来る、理解できるようになると言うことを知ることを最初に行う。目次を利用してもいいし、あとがきを読んでもいいし、図のみの気になるところを見てもいい。とりあえず、おいしそうなところをかじってみる。それは「こんなことが理解できるなんてかっこいいー!俺」でも、「こんな難しい本を読んでいる私教養あるー!!」でもいい。

これだけはだめー

逆によくない読み方はここが分からない。ここもわからない。と分からないこと探しをしてしまうことだ。読む前から分かっていたら読む必要なんてないことを思い出そう。分からないことを探すのはほとんどが分かり始めたときに、初めて行い、穴を埋める作業だ。最初にやれば全て穴なので、ただへこむだけだ。

応用:おいしいものから食べるー

さて、この文章の中で実践してみよう。
おいしいものを最初に食べるということで何ができるのか、その応用を書き並べてみる。
基本:数段上の技術、理解が容易に手に入る。

・他の人に教えるときにまずはおいしいものを食べさせてあげるので、教えるのがうまくなる。
・文章を書くときに、まずはおいしいもの(素晴らしい結論)を与えることでみんなに読んでもらえるようになる。
・話をするときに、おいしいものを与えることでみんなに聞いてもらえるようになる。
・中堅の技術者が陥りやすい、知識の見せびらかしや、専門用語によるごまかしする必要がなくなり、上級の技術者に至ることが出来る。
・人間関係によるモチベーションを操ることによって、高度な政治力、リーダーシップを得ることが出来る。
・面白い話が出来るようになり、異性にもてもてです。
・仕事で上司に認められ、同期のだれよりも早く課長になれました。
・おいしいところから食べたら、宝くじで3億円あたりました。
・背が3日で12センチも伸びました。

などとおいしいずくめとなっています。ぜひお試しあれ。