全ての物事は関係でつながるネットワークである

全ての物事は関係でつながるネットワークである。これは言われてみれば当たり前だ。ネットワークというもの自体が個と個の関係を書いたものであるからだ。大体、自分というもの自体がネットワークだ。レイヤー(層)は違えど、物理層と論理層と感情層に分けてさらに人間関係という層に生きている。

IT革命という使い古した言葉がある。Web2.0という比較的新しい言葉もある。本質的には同じことだ。あらゆる層を含めた認識の系のネットワークがより密に帯域を取るようにつながったというだけだ。新しくもなんともない。ただ、行われたレイヤーが違うために違うものであるかのように思われているだけだ。

全体としての認識の認識

極論すれば人間は、自分であろうと人類全体であろうと、あらゆる手段を用いて認識の系のネットワークを広げることで、物理層を支配してきた。それがもっと広がり、認識が深くなり、帯域を持つようになるということだ。人類は物理層に認識の根を張り、個々の人間はその人類全体の認識の根にさらに認識の根を張っている。それがより深く、早く、広くなっていく。人類は世界に根を張る大木である。

根っこの部分はよく分かったがそれでは、土の上の幹と葉っぱの部分はなんだろうか?それは人類の創造したものだ。認知の根によってすった情報で創造によって構築されたものが葉である。それらは青く大きく茂っている。冬になると枯れ落ち、それは来年の養分となって認知の根に吸われるだろう。

幹は毎年年輪を描き前の部分を支えとして大きくなっていく。そして現実の木と同じように今生きているのは表層部分だけである。中心部分の細胞は死に単なるパイプとなっている。

創造の花は革新の実をつけ、より自分自身を広げるように人類という系を広げていくことになる。インターネットというのも新しく実をつけ、より人類という系が大きくなるのを助けている。

インターネットというのは、通信するための技術である。通信の本当の目的は、より多くの花をつけて多くの実をつけるためだ。それがただの情報のパイプの役割しかしないのはもったいない。インターネットは、コミュニケーションの道具ではあるが、コミュニケーションは価値の創造の道具である。

事象「この考え」

さて、この「全ての物事は関係でつながるネットワークである」という考えも、単なる一つの物事に過ぎない。ネットワークは密にして始めて体をなす。そのネットワークは、心理、精神、思考、人間関係、経済などいろいろな層にどれだけ根を張り、どれほどの木を立て、どれだけの実をならせることが出来るだろうか?思考のネットワークを大きくすることと、人間関係のネットワークを大きくすることは、同じことをしているに過ぎない。ネットワークという木を育てているだけだ。

どんな層であろうと、育てて大きい木に出来るならば、それはその層で大きな関係を発揮できるだろう。あなたはどんな層に木を育てようと思うだろうか?どんな実を望むだろうか?