創造ということ

価値のあるものが作りたい

昔から、価値のあるものが創りたかった。それは、5歳くらいにまでさかのぼっても、おんなじ様なことを考えている。僕の一種の命題のようなものなのだろう。価値のあるもの、とは例えば、デザインの優れているものや、色々すごいことが出来るものなど色々あるが、自分が一番惹かれるのは、自動化という分野である。例えば、便利なものというのは、自分がやること、出来ないことを肩代わりしてやってくれるものだ。さらに便利なのは、その思考段階も総合的にやってしまうことだ。昔は、これを人を使うことで、実現していた。今では、機械がそれを行っている。人間のようなもの、有機的なものが作りたかった。

創造するという極限

創造するものの極限には何が待っているのだろうか?それは簡単だ。創造者より、優れた存在だ。つまり、自分より優れた創造者を作ることが創造という分野の究極なのだろう。まぁ、そこまで行くと、自分の存在価値があまりなくなるような気がしないでもないが。今のところは心配がない。子供を育てるというのも、そう考えると、同じようにも考えられなくも無い。世代として、次世代によりすぐれた教育を施し、よりよい環境を与え、自分たちの世代よりもよいものを創造しているとも考えられる。進化や自然淘汰という考えも同じようなものだ。価値あるものの創造なわけだ。

フェイズのチェンジ

同じレイヤー(層)でイノベーションが起こり、それがレイヤー全体に波及し、広がることをフェイズ(相)のチェンジと呼ぶことにする。例えば、ある人が車輪を考えて、その考えが普及すること。自分の中である考えを思いつき、それが自分のあらゆる思考のベースになること。ある生物が、よりよい形態になり、そちらのほうが優れており、自然淘汰により、その形態ばかりになること。マーケットにて、ある商品が優れており、多の商品を駆逐すること。などあらゆるレイヤーにて同じようなことが起きている。これは、レイヤーが違うだけで創造することと本質的に変わりが無い。

フェイズのチェンジを読む

フェイズのチェンジの読み方は非常に簡単である。優れているということではなく、帯域をより広げる方向に転がるだけだ。これは、文化言語などにおけるミーム(情報子)、生物学における遺伝子と同じである。帯域を広げるとは、そのレイヤーの下のレイヤーにどれだけ密接に、適応できているかということだ。遺伝子で言えば、その環境にどれだけ適応できていて、増えることができるかということ。ミームで言えばどれだけ、人間の欲のボタンを押して、自分のコピーを人間の文化内に広げることができるかということだ。マーケティングで言えば、どれだけマーケットの中で宣伝、販売などなどをうまくやって、製品のシェアをとるということだ。それらは、全て同じことだ。

イノベーションを起すということ

イノベーションを起しやすいものというのは、より広い帯域で下のレイヤーに接続できているものだ。たとえば、増殖の条件がより簡単だったり、他のものよりクリティカルにできることが違うなどの総体として、決まる。また、イノベーションを起すということは、そのレイヤーに乗っているものでないとだめだということだ。マーケットにイノベーションを起すには、アイディアではなく、商品が必要だ。いくらよいアイディアがあろうと、それを実行できなければ、マーケットや社会にはイノベーションは起せない。僕は実行力が欲しい。