恋愛とか、付き合うということ

はじめに

恋愛についての自分の考えとかそこらへんです。恋愛に関しては正直微妙なので、あくまで自分の考えということで。あーあー石とか投げないで。

商業的恋愛

商業的恋愛というのは、自分はどうも昔から違和感があった。デートで映画見て、夕食には高級レストランでとか。ドライブで海に行って、夕日をバックに指輪をプレゼントとか。随分、なんだかなぁな例が出てきましたが、それらを集約するとどうなるかを考えてみた。自分を見せるのではなく、作った自分を見せてもそれでうまくいけばいいという考えがどこかに感じられる。もっと言えば、本当の自分を見せると嫌われるから、偽者の自分を見せて好きになってもらうという風に言えば分かっていただけるだろうか。

逆に言えば僕は、そういうことが非常に苦手だ。だからこそなのだろうが、そう思っていた。例えば、合コンということで彼女を作るというある人たちには当たり前の行為に、違和感を抱いていた。人の付き合う中で人間的に好きになり、恋愛感情を抱くというのなら分かる。でも、そこではマーケットのように自分を売り、彼女を買うのである。何か違う気がする。そういう人たちは、かなりの割合で存在することは知っている。そして、その目的がなにか自分たちと違うものであることも知っている。

人と付き合う中で何を求めるのか

異性とか、そこは関係なく、あなたはどういう目的で人と付き合うだろうか?僕はゆっくり考えたところ、自分と違うところを知るという結論が出た。他に色々あるだろうが、話すのが楽しいとか、寂しいからとか、認めて欲しいからとかになるだろうと思う。これはどういうことなのだろうか。異性と付き合う目的としたら、性欲とか、友人に自慢したいとか、彼女を持っていることがステータスとかも考えられる。それらが一つではなく、複数あるというのが現実だろう。あなたはどの目的が主だろうか?

恋愛ということ=自分の欠損の補償行為

自分は「相手をあまり知らない段階の恋愛」は勘違いで9割が成立すると思っている。恋愛というものは、相手がいるように思えるが、それは自分の願望の映し出す先でしかないと思う。それは一人で勝手に恋愛できることからも、言えると思う。付き合うことで、優越感に浸ったり、自分の自尊心が補償できると考えることはよくあるが、それは結局自分本位であり、その相手のことなんて考えていない。恋愛はきっかけであっても、それだけでは付き合うことすら成り立たないと思う。

認めるということ、受け入れるということ

あなたは人に認めて欲しいと思うだろうか?僕は思う。でも、昔よりはそれほど思わない。それは、ある程度自分で認めることが出来るようになったからだ。他人に認めて欲しいと強く思うのは、本当は他人に認められる自分ってすごいなぁと自分で自分を認めるためだと思う。本当に認めて欲しいのは自分にで、優越感と劣等感というモノが同じものであり、あなたはあなたにしか満たすことが出来ない。それを恋愛で埋めるというのは、無理な話だ。

恋愛と結婚の連続性

恋愛と結婚生活は違うという。それは、たぶん本当なのだろう。いや、結婚したこと無いけど。よく、上にみる商業的な恋愛というのは結婚生活はらぶらぶでということが描かれることが多い。でもそれはほとんど夢物語でしかない。喧嘩だってするし、色々嫌なところが見えるようになる。それでいいのだ。現実の話はそのようなものだ。あなたの父親、母親はどのように結婚生活をしていたのだろうか。それと、恋愛が重なるならばそれは本物であり、重ならないならば、おそらく幻想なのだろう。幸せになるためには、幸せであるときを知らなければ、不可能であるということだ。親が仲のよかった人は幸運だ。おそらく、仲良く暮らすことが出来る。親の仲が悪かった人は幸せになるのが大変だ。いい状態を学ばなければ、その状態に向かうことも難しいだろう。そういう意味で、教育は親のままの子供が育つ。とくに情緒面では。それは取り繕うことが出来ない。取り繕えば、取り繕うことを子供は学ぶだけだ。自分は子供によい例として見られるような親になりたい。