戦略としての恋愛と結婚

昨日の恋愛とか、付き合うということの拡張版です。
あと、この恋愛に関する話は、つれづれなるものさんとの話し合いの中で考えました。彼のブログの中でもっと過激にぶった切っています。いやぁ、そこまでは恐ろしくてできませんよ。
人を好きになるということ。(5月18日です。直接リンク貼ろうとしましたが、はてなの仕様により貼れませんでした。もちろんトラックバックも不可能です。これはMSとはてな、どっちに当り散らせばいいんだろう。)リンク張り替えました。

生物的戦略としての恋愛

恋愛の仕方の種類として、内面的な欲求を求める人と、外面的な欲求を満たす人というタイプで分けられると思う。そして、自分は内面的な欲求を求めるタイプであるということだ。別にどっちがどうというわけではない。両者が生存競争にて違う戦略を選んでいるだけだ。

生存競争は常に、よりよい戦略を選んだほうを次の世代に残してきた。そしてそれが何百世代(文化の中でも)と続いた結果、大まかに2つの戦略をとるようになったという結果だと思う。一つは内面的な欲求をかなえることをよしとする戦略、もう一つは外面的な欲求をかなえるのをよしとする戦略だ。内面的欲求というのは、心的な結合、安心感や知識的欲求などがあげられる。一方外面的とは性的な欲求や物的な欲求などがあげられる。内面派は少数の人と長く付き合うという戦略、外面派は多くの人と短く付き合うという戦略をとる。自分の周り調べでは「内面派:外面派=4:6」くらいであると思う。まぁこれは男性のみであるが。

男性から見た結婚というシステム

文化はとりあえず、今の日本としては結婚という文化的法的なシステムが導入されている。それをどう思うかは別として、とりあえず結婚システムに準拠する必要がある。結婚システムとしては1対1で一生付き合うというのが理想である。が、しかし、内面派はともかくとして、外面派は生物的な戦略と、文化的法的な規則が一致しないことになってしまっている。これは世の中の一定の心的内圧として常に流れていることになる。そうすると、外面的なことをもてはやすような文化が、ある一定の支持を得ることになる。それが商業的恋愛であると自分は考える。内面派からみると、ぜんぜん主要でないと思われる要素(ムード、お金、話術)を技術的に用いることによって、効果を得るという文化がそのようなものであると思う。だが、いくら女性を捕まえたところで結婚は1人しか認められていない。さらに分かれたから次というようなことは簡単に出来ることではない。つまり、戦略的な要素が裏目に出てしまうことになる。これは外面派にとっては悲劇だ。

女性からみた結婚というシステム

一方女性はどうなのだろうか。女性は、男性と違い一様に子供を産むことに一定のリスクを負うことになる。それを男性にも等しく負わせるというのが結婚というシステムだ。そのため、女性はそのような視点で男性を見るように生物的に出来ている。あとは、男性の外面的な強さ(力が強い、体が丈夫、お金、権力、見た目)と内面的な強さ(人格、知識、信頼)などを天秤に載せることになる。またこれも内面派と外面派に分かれるのではないだろうか?(知らないですけどね)そして女性の外面派は男性の外面派を選び、女性の内面派は男性の内面派を選ぶことが多いのではないだろうか?これは自分と似た価値観の人を選ぶと言い換えることも出来る。

メタ生物的戦略

ここまで理解できれば、自分が内面と外面のどちらを重視しているのかというのは大体わかるし、それを高い視野からみることが出来るようになる。つまり、相手が何を求めているか、どうすればバランスが取れるかということだ。外面派の人とうまく付き合いたければ、そのような部分を強化すればいいし、内面派もまた然りである。両方磨けばいいのであるがなかなか難しいのも事実であると思う。そのためだけに磨くのもなんだか変な気がするし。