日本やばい。まじやばい。

ゆとり教育って冗談じゃなかったんだ!!

キバヤシ:どうやら、俺たちは思い違いをしていたようだ。ゆとり教育はすでに国を滅ぼしていたんだよ!!!
ΩΩ Ω<な、なんだってー!!!
キバヤシ:これで、ノストラダムスの予言やら、宇宙人の暇つぶしやら、アメリカの陰謀やら、中国の陰謀やらは完了していたわけだ。
ΩΩ Ω<それは本当かキバヤシ!


というようにゆとり教育はネタかと思っていましたが、どうやらネタに収まらないようです。自分は今大学生なので、少しゆとり教育が導入されていくという世代だったと思われます。それでも、普通の大人から見れば出来がよろしくないようで。それは例えば今年の新入社員についての話を聞くだに芳しくないというのは、よく聞こえてくる話です。そんな延長でゆとり教育を考えていました。でもどうやら、違ったみたいなんです。認識が甘すぎました。

今の中学生は50分間椅子に座っていられない

今の中学生は50分間椅子に座っていられないそうです。一時期いわれていた学級崩壊は、普通になり特に言われなくなりました。だから、先生のほうがわざとプリントを提出させるために立たせたりするそうです。

授業内容が2/3に

今は月〜金曜に5時間が基本で6時間が週二回くらいだそうです。自分の時は6時間まで普通にあり、さらに土曜日も4時間がありました。普通に考えて授業時間が減っています。さらに今まであった、内容も小学生から中学生に、中学生から高校せいに後回しになっています。確かにゆとりはできたでしょう。

ゆとり教育の結果

これは今の学生が社会人になり、さらには社会の上部構造を担うときになってわかることです。少なくともいえることは、今ひどいといわれている新卒よりもさらに、パワーアップした新卒が入ってくるということです。日本は技術情報立国です。日本が現在世界第二位の経済圏を誇っているのは、先人の積み重ねた技術と情報があるからです。それがなくなったとき、日本は滅びます。

日本は現在、軍隊を持っていません。アメリカが同盟を組んでくれるのは、共産圏からの地理的な防波堤でした。今、旧ソ連の崩壊により、その意味は薄れています。中国は中華思想によって、世界中の国を征服しないといられない病に駆られています。着々と軍備を整えて、周囲の国を征服できる機会を狙っています。もちろんそれの国には日本も入っています。

さらには政府の巨額な借金による消費税のアップ(15%まで上がるんでしたっけ)と少子化による年金制度の崩壊、高齢社会の到来、これは普通に考えられる危機です。さらにここにゆとり教育の登場です。日本の経済圏は衰退してしまうのでしょうか?もちろんそうすれば、生活レベルを下げるなどというレベルではなく、もっと日本の存亡をかけるような状態にもなりかねません。

ゆとり教育の実態を聞いたとき、なんか足元を掬われたような気がしました。会社を作るといくら言ったって、日本経済が潰れてしまえば、何もなくなるからです。そうです、日本経済に依存していたのことに気がつきました。

ゆとり教育のうそ

さて、今まで散々ゆとり教育ヤバイと煽ってきましたが、ゆとり教育がまずいのではないということです。日本の教育界は「厳しいとゆるい」というのを交互に行ったりきたりしているからです。しかし、結果としては一環として、成績が下がる一方だそうです。これはなぜでしょうか?何か根本的アプローチに問題があるのでしょうか?

なぜ、団塊の世代はがんばったのでしょうか?その前の戦争時代はさらにです。それは簡単です。飢えていたからです。飢えていたからこそ、ちゃんとした生活をしたいと思い、頑張ったのです。今は誰も飢えていません。しかもそれは、自分で獲得したものではなく、親が獲得したものを何もしないで与えられたものです。今の子供は「飢えることに飢えている」のです。

痛みのない人生は面白いですか?実感のわかない生は楽しいですか?今の子供の無気力というのは、牙の抜いた魔物しかいないゲームみたいなものです。ゲームは、実感として痛みなんてありません。体力が変わるだけです。でも、死に対してはリスクがあり、やり直しになるとか何かを失うとかがあります。それが無いゲームは楽しいでしょうか?チートをして無敵になったゲームは、面白いでしょうか?
もちろん、毛ほども面白くありません。親世代は危険だ、危ないなどの言葉によって、痛みを世界から無くしたほうがいいという勘違いをしています。その結果は、無敵ゲームのような、ヌルまったい、灰色の毎日が待っているわけです。

ゆとり教育スケープゴートにされていますが、根本的な原因はそれではありません。長期的な視野で「こんなつらい思いを子供にはさせたくない」というのが、間違っていたということです。

平等社会のうそ

最近は格差社会の到来が叫ばれています。平等社会が望ましいと言われて来ましたが、それを維持できなくなったのでしょうか?格差社会は、駄目だ。平等社会を目指すべきだという意見はよくあります。何が平等なのでしょうか?みんな同じ生活レベルでという話でしょうか?一見それは、間違っていないように思えます。みんな最低限の生活を、できればもっと高くという主張ですね。

しかしながら、この意見は不平等です。がんばった人も、頑張っていない人もということですから。平等社会は機会が平等なだけで、生活レベルなどは格差ができて当たり前です。頑張れば、頑張っただけリターンが来る。これが、平等社会だと思います。

これから、どうすればいいのか?

さぁ?どうしましょう?