やらなくちゃいけない事なんてどこにも無い

今日のエントリーは、見る人が見たら、嫌な書き方をしています。嫌な気分になったらすみません。

「やらなくちゃいけない事」とは、「やりたくない事」

最近、他の人の就職活動と大学の勉強のこと、さらには夢などを語っていて、今まで何かおかしいなと思っていたことが、ようやくすっきりしたので書こうと思う。

就職活動に見える、「やりたくはない」けど「やらなきゃいけない」から「しぶしぶやる」というのが、自分はどうもすっきりしなかった。そりゃ、やりたくないことは解る。

でも、じゃあやりたいことやればいいじゃんというと、「やりたいことがない」または、「仕事にはならない」、さらには「お前はいいよなー。やることが見つかって」という返事が返ってくる。この時点で、なんかイライラというか、よくわからない気分になる。なんというか、「文句とか、言わずにやりたいことを、やりゃあいいのに」と思ってしまう。まるで昔の自分を見ているようだ。

運命としての夢?

その人たちは、何だか自分に一番ぴったりな人生の夢というものが見つかると思っているのだろうか?そんなもの見つからない。自分で決めるだけだ。「受け身では見つからない」ではなく「受け身だから決められない」なのだ。選択肢はいくらでも転がっている。それは、もう無数に。ただ、それを拾わなければ、いつまでたっても夢がないことを嘆くだけになってしまう。

そこら辺の話とは違うが、そのような人に、何かものすごい違和感感じていた訳だ。
なんか、「夢がないことが生ぬるく生きる理由になるのか?」ということと「それって楽しいの?」ってことと「進んで自分から、そういう状態になってるんだよね」ということ。

そういうことをいつもは言わないけど、節々から漂わせて言うと「言い訳」をする。または「お前はいいよな」ということになる。

違うっ!!何か決定的に違う。夢が運命みたいに決まると思っているのか?言い訳なんて意味が無い。ああ、「あの人頭いいから」で全部のできることを、かたずけられた時と同じだ。「自分頭悪いから」と言い訳をする人のいやらしさと、「夢が見つからないから」といっている人のいやらしさは同じだ。

何もやらずに夢が見つかると思うな。「何もやらずに勉強ができると思うな」と同じことだ。努力とか、汗とか涙とか、不安とかリスクとか、徹夜とか、そういうものを全部すっ飛ばして、私とあなたは才能が違うとか何で簡単に言えるんだよ。何でそんなに自分自身を馬鹿にするんだよ!!自分でできないことを証明してどうするんだよ!!何で、自分を信じてやらないんだよ。本当に自分自身というものをバカにしている。しかも、自分自身をこれっぽっちも信じていないし、自分自身が嫌いだ。

あなたがそれほど欲しがっている、夢とか才能とかは結果でしかない。何もやらずに手に入るなんて、勘違いも甚だしい。その持ち主と自分を馬鹿にしている。

これ全部自分に向かって言っているんですけどね。最近、調子が悪かったんですよ。

おっと、感情的になりすぎて話がずれすぎた。まいいか。日記にしておこう。

6/10:続き書きました。