ベタとメタ

ようやくゴールか・・・

卒論の発表が終わった。最後まで、アレだったが、内容としては問題ないはず。あとはデータをまとめて卒論を提出するだけ。といっても、データが多すぎて、結構たいへんなのだけど。

研究室は、機械科には珍しく、パソコンを使ってプログラムをして、ナノサイズのオーダーの分子の動きの研究。だから、ずっとプログラムだったし、楽をした部分もあった。でも、だからこそ色々見られたり、なんだかんだとあったから、政治的な立ち回りとか、そんなことも考えさせられた。

多分、研究室の中で、俺だけ違うことを考えている。ベタは、分子の運動。メタは、マクロとミクロ、組織の組み方。メタの部分にこそ一番おいしい部分がある。勉強って、学ぶ対象から、どれだけ論理性、新規性を引き出して、自分を拡張できるかだと思う。ベタの世界で甘んじていては、おそらく働く段階になって、苦労をする。

ベタとメタ

如何にベタを、メタまで昇華させて、色々な考えに応用できるかが勝負だと思う。最近は組織論が自分の中で流行っている。色々思いついて、拡張して、組み合わせて、だんだんその論の行き先が分かってくる。フィルターを作って、そのフィルターを使って、世界を再解釈する。そうすると新しい発見があって、視界は広く、より明瞭になる。

話し合うのも好きだけど、一番アイディアを思いつくのは本を読んだとき。ベタを理解して、メタを構築し、吸収、アウトプットする。多分他の人が同じ本を読んでも、自分が引っかかるところとはぜんぜん違う。ある変わった表現だったり、全体に流れる不文律だったり。半分だけしか形になっていないアイディアとか。

そういえば、物語で言えば深読みしすぎて、「正しい」解釈自体はそんなに得意じゃなかったな。どんな曲がった論理でも補強して、理由をつけてしまえるから。また、そっちの方が面白かったりするから。

「正しい」っていう価値観は1種類しか生存を認めない。「面白い」という価値観は、色々内包できる。思考の生態系が豊富であれば有るほど、リンクはつながり、より価値を生み出すことができる。情報の価値感は「面白い」だ。いま、まさにインターネットでの現象、テレビでの現象はこれだけで解釈できる。「正しいこと」はそれほど「面白くない」だから、面白さの前に負けてしまう。

それが駄目なのではなく、そういうものなのだ。情報が生き残るためには、なにより面白さが求められる。