組織の構成要素とトレードオフ

昔はどんな組織でも、論理的に作ることが可能だと思っていたが、どうやらそうではないらしいことに最近気が付いた。

全員がスペシャリストの集団は存在するのか?

環境が人を作り、人が環境を作る。環境によって人は成長し、そして最適化される。しかし、いくら人が成長したところで、統制*1が取れないような組織は、組織の目標に向かって進むことができない。人と組織の力の格差が、コンピュータにより少なくなったとはいえ、個人が組織に勝つことは難しい。組織は、組織が存在するように、中の個人を守り、成長を促し、情報伝達をする。統制の取れた組織は、個人では成し得ない事をすることができる。

そのことを、私は組織が個を獲得した言うように表現した。個というのは、外界と自分というものを区別し、自己復元機能をもって、自己生存するためにある集合のことだ。個を獲得できない集団は、そうである集団に比べて圧倒的に弱い。というよりは、個を持っていないと集団として機能できないのだ。そのため、組織を作るときは個を獲得するような形を目指すとうまくいくのだろう。

逆に言えば、あるものを無力化したいときは、それから個を奪うようなことをすればいいことになる。帰属意識を奪うとか、インセンティブの排除とか、内部工作、物理的な切断などだ。

個の獲得条件

個を形成するためには、前のエントリーで書いたように、いくつかの獲得必要条件が有るようだ。

・外側の環境が存在すること(自己が存在できるための環境、できれば同等の個の存在)

・内部と外部が違うルールであること(インセンティブ、禁忌、法律)

・外殻が形成されること(内部からと外部からの流入の制限)

これは、おそらく最低要件でしかない。より、機能に最適化した形の組織にするには、個として集まっていられる限界のラインを知る必要がある。

これからの時代は、いかに組織が多様性を組み込めるかの勝負となる。個の一貫性と多様性というものは、矛盾する。なので、個としての境界に強めの正のインセンティブを与え、内圧を高めた上で流体的なクラスターの生体圏を作成するのが無難であると思う。

アイディアの創出と多様性を含む組織の創出

アイディアはどのように作られるだろうか?アイディアには一般的に作成法にはブレインストーミングKJ法など、色々な方法がある。これは、頭の中の思考の競争を頭の外に出してすることが出来る方法である。

同じように組織の多様性を求めるためには、組織構造として多様性を保つような仕組みが必要なのだろう。固定した組織図は固定した人間関係を作る。流動的な組織は流動した人間関係を作る。

1人のアイディアで、単発の勝負で有るならば、たとえポテンシャルは向こうが高くても場合によっては勝てるかも知れない。しかし、連続試行となると話は変わる。構造的にかなわない限り、かなう事は無くなる。だから、創造的な生産物の前に、創造的な組織を作る必要が有る。

人間の持っている能力は、それほど変わらない。でも、創造的な人間は、圧倒的なアウトプットを叩き出す。自分は昔はそれほど創造することを、継続的に出来たわけではなかった。変わった要素は、まず評価の場(つまりブログ)があり、継続的にアウトプットをする習慣が出来たことが大きい。頭の中の情報組織は、整っているにもかかわらず流動的だ。昔あった、情報のパーティション(区切り)を消失し、全ての物事を同じレベル、考えで見る事が出来るようになってきている。つまり、それこそが今考えている組織論なのだが。

物理学と同じで、事象を紡いで経験から抽象を引き出し続けると、最終的にどんどんシンプルに核心的になっていく。昔は、あれはあれ、これはこれだった事が、あれもこれも同じことを示していると理解する事が出来るようになる。全ての事象を同じレイヤーレベルとして考える事が出来るのだから、今までに無い化学変化も非常に起こりやすくなる。それと同じことを組織レベルにて実装したい。

人のポテンシャルがそれほど違いが無いとするならば、同様に社会的なポテンシャルもそれほど差は無いはずなのだ。問題は実装レベルでの構造であり、構造さえ最適化すれば、十分戦えるようになる。そのようなレイヤーでの創造がそれほどなされていない事が、不思議に思うのだ(知らないだけかもしれないけど)。

構造を変えることで、環境に最適化する。今は個に矛盾する要素をいかに取り込むか、つまり多様性が求められるため、そちらに最適化する。

マザーコンピュータは存在しない。有るのはネットワークシステム。

昔のSFでは、将来はマザーコンピュータが社会を牛耳ってという型のネタが多かった。実際は、複数のノードからのネットワークシステムとして、インターネットは実装された。これは、免疫系を得るため。単一のシステムは1条件に最適化するのは得意で有るのだが、外部からの攻撃には弱い。そのため、一部分を攻撃されても機能するように、ネットワークシステムが出来た。これは、多様な生態系として、理解する事が出来る。生態系は免疫を持って、攻撃から自己を守り、破壊されたシステムを修復する。

日本は単一であり、コストがかかるのは多様性を持つ事だ。多様性を保つには、内部に単一になろうとする文化に逆らわなくてはならない。逆に、何か目的があって実行するときは、単一の組織系であるため、非常に高効率を得る事が出来る。

アメリカは逆だ。コストが必要なのは、単一化することで、高効率を得たいときには非常にコストがかかる。しかし、多様性を内包しているために、創造的である事に関しては、日本に追随を許さない。

この問題は、レイヤーの実装構造によって、変えることが可能だと思うのだ。それは、1人の人間変わることが出来るということと、同じ事だ。組織論をメタ的に見つめる事によって、今まで固定観念としていたものが、ただ動かせないものとして思い込んでいることは多いと思う。このことも、その一部だと思う。私が変わることが出来るならば、組織は変わることが出来る。私はそう信じる。

*1:支配じゃないよ