情報産業の特殊性と生産システムの限界

日本はソフトウェア産業が下手だ

なぜなのだろうか。
これはみんな考えていて、ほぼ自分の結論としては

  • What(何を作るか)が作れない
  • 2番手が1番手を上回れない
  • 言語、文化の壁

という事だろう。

Whatが作れない

散々言われているように、日本人はWhatを探すのが下手である。
これは、日本では「出る杭は打たれる」のように、みんなと同化しなければ評価されない文化体系だからだ。
推奨インセンティブが無いどころか、禁止、タブー化されている文化では、そのインセンティブが膨大(Youtubeの買収を思い出してください)であるアメリカには勝てない。だって、評価されないもん。

お金というのは社会的な評価指標だ。どれだけの価値を社会に提供できるか。膨大なお金を持つ必要が無いみたいな価値観があるが、あれは「出る杭は打たれる」価値観があるからでしょ?例えばそんな文化がないゲームの中で、そんなにお金をもつ必要が無いなんて言っている人なんて見たことが無い。お金は社会的な評価であって、価値を数値化したものだ。

さて、日本では何が一番評価されているのか、例えばトヨタ。あれはカイゼンシステムであり、プロダクトであり信用が評価されているのだろう。だから、日本では評価される。他にはどんな企業を上げればいいのだろうか。いずれも組織的ソフトウェアにおいて評価されているように思える。

逆に言えば、組織的ソフトウェアに関すればバブル時代には、世界から評価されていたはずだ。日本式とかもてはやされて。別に間違ってはいなかったけど違うOS(文化であり思考)の上への移植はものすごく大変だろう。何しろパリティ(信頼性)から徹底しないといけない。

日本製ソフトウェアは組織層にある

言ってみれば、日本での得意な分野は組織においての組織化であると言って間違いではないと思う。それなのに、「日本のソフトウェアが世界的〜」と言っている人が多い。ソフトウェアの意味を限定しすぎだろう。

といっても、バブル崩壊後、組織的ソフトウェアの移植もそれほどうまくいっていないだろうと思われる。そして、「何を作るか」という議論をしている。正直言って、苦手な分野で得意な奴にぶつかる事ほど、コストがかかってうまくいかないことは無い。

How(どう作る)が得意を徹底的に突き詰めた方が、結果のプロダクトはいいものが出来るのではないだろうか?おそらく、お金にならない組織的プログラミングほど結果として、お金を作る分野は無いだろう。

組織的プログラミング(コミュニティハックとか言われてるのかな

まず、場の定義から始める。(用件定義)
組織には母体となるレイヤー(現実か、ネットか)を決め、そのドメイン(領域)を決める。

次に、ルールを決める。(設計)
つまりインセンティブであり、禁止事項だ。それが殻を作り、進む方向を決める。
この部分が組織的プログラミングの4割くらいだろう。

次に、中の人を教育する。(コード化)
これが5割。教育者はもちろん目指すレベル以上である必要がある。

そして運用。(運用)
運用しましょう。バグもとりましょう。

割合は人によってさまざま。たぶん、何を無意識に出来るかということだろうけど。

見えてきた日本とアメリ

日本の組織=アメリカの人
日本の信頼=アメリカの金
日本の製品=アメリカの発明

こうすれば分かりやすい。やはり、日本人は組織的文化であると思う。それを生かして何かプロダクトを作れないだろうか?
日本人は信頼が儲かっても、お金が儲からない。アメリカ人はお金が儲かっても信頼が儲からない。お金は世界共通で交換可能である。信頼は、ローカルであり、交換可能なほど情報化が進んでいない。さらにそこに日本語の壁を投入すれば、守りは完璧。

アメリカに対抗したいなら

まず、頭数(組織数)を増やす。そして、信頼をお金で買えるようにする(言い方は悪いが組織的インセンティブと個のインセンティブを交換可能にする)そして、製品を作る。それでも、かなわないだろうけど。

もっとさらに人の下に個を作って、そいつらに独立させるというのはどうだろう。製品が個をもつだろうか。思想が個をもつだろうか。私を分割したら(昔試してみたなそういえば)、運用が大変になるだけっぽいしなぁ。日本という大ルールの下でいかにそれに逆らう特別ルールを作る事が出来るかだと思う。日本にこだわる必要は無いけど、基点だからね。

※今回のエントリーは適当です。エッセンスだけをしまってください。細部には穴が無数にあります。広げるとテニスコート3枚分くらい。