アイデンティティの自立

殻からの自由

人は殻に属して生きる。それは、それが無いと非常に苦しむためだ。例えば組織殻に属していないと、私が何者であるか定義する事が出来なかった。人は認識し定義する事で、お互いを観測し合っていた。つまり、観測される事で自己を定義していたのだ。それはペルソナなどの表面を作り、属しているために「何者であるか」という質問に答える事が出来ていた。

私は、私そのものを定義することが出来る事を見つけた。あらゆる範囲において、私は私を定義する。私という存在は、個性とか標準からはみ出した表面をアイデンティティとして、装備するのを止めよう。私は、私と認識できる認識能力そのものである。これが、最低限の私だ。そこまでそぎ落としてしまえば、あらゆる可能性が開けてくる事に気がつくだろう。私が何者であるかを定義しよう。

なりたい者になればいい。力が欲しいなら、それを求めればいい。心がほしいなら、それを求めればいい。愛がほしいなら、求めればいい。進みたい方向に進めばいい。生きたい生き方をすればいい。あなたを定義するのは、あなた自身である。