因果の認識と矛盾の内包

新しい因果の認識論は前提条件が在るのだろうか。それとも何か根本的に見落としが在るのだろうか。しばらくは矛盾も在るだろうが、そのまま走って見るか。

過去は再構成される

これは脳の特性として記憶というものは再生時に、再構成されるようだ。よって、同じ記憶だと思ったとしても、いつの時点から再生するかによって、おそらく別のものになってしまうのだろう。脳は結構適当だ。

観測点は現在で、過去を振り返る度に再構成される。これが過去の編集。おそらく因果も今の視点から構成されるだろうし、あらゆることが今の自分によって構成される。脳は再生するたびに自己をフィードバックさせてしまう。あらゆる事柄はあらゆる視点から見ることが可能なため、あらゆることが都合がいいようになる。これはおそらく自己防衛システムの一部なのだろう。脳内が分裂などを起こさないように、過去の記憶も現在の解釈を通さずに再生することが出来なくなっている。

なぜ間違えた未来を視てしまうのか

ソニーPS3の話が出てきたので、その話をベースにして見よう。現在も在るので認識解釈はこの後変わる可能性があるが、現時点での解釈をする。

ソニー中鉢社長:「PS3事業は死に物狂い」
ITmedia News経由、産経新聞ソニー中鉢社長インタビューより。第90回「ソニー戦士ストリンガー登場」株主総会で掲げた07年度方針「復活から利益を伴った成長へ」については「『勝ち組』に入る兆しはあるが、慢心はしない」としたうえで、前期の営業損失が2323億円に達したゲーム事業、特に「達成できたと考えて」いた目標に届かない550万台を生産出荷・うち360万台が流通に渡った(つまり店頭の目に見える在庫のほかに約190万台がソニー在庫だった) プレイステーション3事業については、「死に物狂いでやる。グループの総力をあげ、本体とSCEで共同作業を深める」。

つまり、「プレイステーション道はもの狂ひ也」。ああ、たしかに「もの狂い」と考えればいろいろなことが納得できるな......という話はさておき、どんな戦略もまずは冷静な現状認識から。店頭在庫のダブつきが誰の目に明らかになった時期に「PS3を在庫している小売店は一軒も存在しない」「在庫を見つけたら1200ドル進呈する」と言い放って物笑いの種になったSCEAのとても偉い人のような現実否認ではなく、いまここから巻き返して勝つ、全力を尽くすという宣言が本体の社長から聞けたことは非常に心強いものです。

一方、反撃に転じるスペシフィックな案のなかでも確実に実行できる「値下げ」については、「迂闊に言える状況になく、コメントしかねる」との慎重姿勢を示しています。たしかに買い控えに直結する値下げはうかつに口にできるものではありませんが、ソニー戦士の総帥たるストリンガー卿はFT紙に対して「検討している」「クリスマスまでには」と分かりやすいフレンドリーファイア的コメント。厳しい状況ではあるものの、ソニーほどの企業が一丸となって死に物狂いになれば不可能はありません。時価総額がおなじくらいのゲーム専業会社、あるいは企業規模が桁違いで勝つまで諦めない米国企業も死に物狂いにならなければ勝利は確実です

http://japanese.engadget.com/2007/06/28/playstation3-chubachi/

まぁ全文引用。簡単に言うと奢れるもの久しからず。もう少し過去を見てみると、上位の幹部が明らかに現状認識が出来ていない事がわかる。そして現実から剥離してしまった結果、未来もまた剥離してしまった。現実を見る事は大切だとするだけでは、昔の状態と代わりがないので次に進めて見よう。

過去を編集するという目的

なぜ、脳は過去を編集するのだろうか。先ほど言ったように、分裂しないためなのだろうか。脳内で矛盾を維持するのは物凄いコストがかかる。N極とN極を近づけて保持しているみたいなものだ、脳の認識構造体の歪みなのだろう。それを解消するために脳は結構無意識に強引に解消する。それは、「自分=正しい」でとりあえず埋めてしまう事だ。ただ、内部構造はゆがみを外部に吐き出した変わりに、現実と認識のハザマがゆがんでしまう。これが現実との剥離である。

これは、いうなれば自分のゆがみを現実に押し付けたために起きてしまう事だ。自己のゆがみは自分で直さなければいけない。これを止めると現実と剥離しだす。これは現実を見ることよりも、自分を大切にしてしまったために起きる。これとよく似た構造に「天動説」や「進化論」や「神が居ない」ことに対する議論と非常に良く似ている。似ているというより同じものだ。

問題は、何のために外の世界を観測しているかだろう。自分すごい!!と観察したいのなら、それはその様に世界は映すだろう。ただ、剥離しすぎると補正が必要になるか、またはそのまま完全に剥離してしまうかだろう。何かの目的のために観測を使ってしまうと、それはもはや正しくモノを見ることが出来なくなる。もちろん、完全に色眼鏡をはずすことは不可能だが、自己に矛盾を取り込むことを覚悟してしまえば、それほど難しいことではない。

矛盾と過去と運

さて、過去を再構成してみよう。全て今まで、自分が運が良かったという風に過去を再構成するとする。もちろん現実の剥離はしないで、矛盾は甘んじて受ける事にする。物凄い矛盾が脳内に溜まるだろう。そんな、馬鹿みたいに運がいい人はそれほど居ないためだ。ただ人間は、極めて自己に優しい動物だ。現実のゆがみを見ることでそれを解消したくなるはずだ。問題は、自分は矛盾なんてないと自己欺瞞を持ったまま先に歩いてしまうことだろう。

運が悪かったで再構成することもできるし、自分は努力こそが結果に繋がるで構成する事も出来る。未来を視る事を馬鹿にも公言してすすむ人も居るし、宗教に殉ずる人も居る。どんな風にも再構成は可能だ。これを他人にやられると洗脳となってしまうのだが。自分でやる分には構わないだろう。自己暗示というやつだ。

慣性の法則がある。過去をそのような軌道であったと観測する事で、未来の軌道はそちらに進むようになる。矛盾を甘んじて受け入れることで、私たちは問題を問題として認識する事が出来る。過去をどのように構築しようか。そして、未来はどうなるのか。