物語記憶という発明

人はなぜ、自己認識を持つ事ができたのか

時系列の因果を繋げる線を人は、物語という。物語は、人にとって大切なもので、それが無ければ世界は点で構成されたカオスになってしまう。私という記憶は、過去からの私を現在に引継ぎ、物語として記憶に紡ぐ。物語記憶が無ければ人は自己を認識できない。自己認識とはなんであるか。それは私を私だと教えてくれる物語だ。

人は、自己という物語を発明して以来、物語を食べ続けてきた。神話を食べ、聖書を食べ、英雄譚を食べ、伝承を食べ、歴史をたべ、小説を食べ、ドラマを食べ、ブログを食べてきた。人は物語り無しに生きていく事が出来ない。今でも同じ事が起きている。ウェブサービスがその先進性で売れる時代は終わった。いかに素晴らしい物語を構築できて、記憶できるかが競われていいる。コンテンツとは物語の事だ。

時系列リンクと物語

どのようなサービスが物語を作ることによって成り立っているか説明してみよう。

blog:自分という物語を記述する
twitter:時系列でリンクした短い会話でみんなで物語作り
2chのある板:スレッド主などの時間列強制リンクでみんなで物語作り
ニコニコ動画:動画という時系列記憶に、時系列でリンクしたコメント
炎上:あるオブジェクトを観察対象にし、オブジェクトの動きによって強制リンクしその周りで騒ぎ立てる。
テレビ:同時に見て感想などをいいながら、物語を作る
祭り:その日という強制時系列リンクによって、祭りというイベントを体験し、物語を作る
ランキング:その時期にその項目が上がったというリンクによって、物語を作る

物語のあるところには、何かしらの時系列のリンクが存在する。それがつまり因果関係な訳だが、因果関係とは、時間軸にある点が並んでいる事を線として見なす認識の事だ。その線を否定する可能性はいくらでも存在する。だが、その点の数が多くなりそれに相関性を見出すとき、それは線として認識される。物語は、そのようにして生み出される。

時系列因果に対する認識の認識

因果関係とはなぜあるのだろうか。それは人が物語記憶に格納するために誤差を排し、定点観測をするためだ。物語記憶は記憶しやすく、時系列において線を引くので未来に向かってのフィードバックがわかりやすくなる。人は線を引くし、組織もまた、線を引く。神話や宗教や歴史は、組織として引いた線だ。線は紡がれ布となる。認識世界は時系列で編み物をしているようだ。