意識はインターフェイスに規定される

「意識の骨格」というもの
「意識の骨格」を探すためには、異常な状況におかれたり、 異常な機能を持った人の思考を観察するのが早道で、 それをやっているのは結局、SF 小説とか、伝奇小説とか。

実世界には超能力で空飛んだりする人そんなに多くはいないから、作家の想像力が頼り。

心理学はこのあたり、案外役に立たなかったり、 精神医学というのは「平均への回帰」が目的だから、 そもそも目指すところが全然違ったり、 何よりお客さん相手にそういうことするの、やっぱり不謹慎だし。

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/07/post_517.html

物事は、外骨格によって規定される。意識もまた同様で。インターネットが発達して、ブログを書くようになって一番変わったのは意識。

  • 思いついたことは取りあえずアップロード。アップロード後は忘れてもいい。
  • 調べたい事は取りあえず、グーグルで。良いページはhatena Bookmarkで保存。理解すらする必要がない。必要なときに引ければいい。
  • アップロードした考えに、フィードバックがつく。思いもしなかった方向に発展する。
  • 近況報告はブログで、個人的なやり取りは無くてもお互いの考えが、お互いにフィードバックする。

意識の形は変わった。一つの独立型オブジェクトではなく、相互に構造化されたフィードバックのコアとして存在する。

意識のかたち、無意識のかたち

世界は変容した。より、人間同士がフィードバックを取りやすく、意識には見えない影響がたくさんある。意識というのは無意識のモニターで、感情は一定の条件以外を除外するパスフィルターで。そこの上を走った言語をアップロードして、それをみて理解して。

絶対量がこのまま増え続けると、おそらくは維持できないほどに大きくなってしまって。そこで初めて分裂をする。初期の胚芽の細胞分裂と同じように。その後それぞれで役割を持って、別の存在になる。インターネット社会という構造のインターフェイスとして人間が存在するようになる。人間はそれぞれ、感覚したものをアップロードする。それを見て、価値のランキングを行い、優れたものをRSSで共有する。そして、みんなで思うところを実行する。

たぶん5年後はさらに相互通信のインターフェイスは優れていて、まったく別の人間が生まれているかもしれない。その人間は、ネット上が現実で、今の現実世界が只のインフラ。今でもニートがいるが、それのさらに先。突き抜けたぐらい別の人間になるのだろう。そのときにおそらく現実の教育インフラ設備はいらなくなる。年齢と技術が比例しなくなって、技術と人格が比例しなくなって。今よりもっと変なものがたくさんできる。

インターネット世界での多様性は、1つのものが一人勝ちして終わりだ。2番手は、ちょっとぐらいの出来のよさでは、1番手に叶う事が出来ない。だから、あらゆるジャンルの頂点が増えるのだろう。ジャンル自体が増え、多様性はそこに存在するようになる。

おそらくやってくるのは所属社会。参加しているコミュニティによって、スペックが全く変わってしまうような世界。コミュニティは、人間を外部インターフェイスとして、使う。内部コミュニケーションのフィードバックの量と質で成長は決まる。意識は、コミュニティに作られる。我々はそれを感じる事は出来ないけれど、それは確かに存在するのだろう。