多次元化の果てに

構造主義とグーグル

まだあまり確認していないのだけれど、どうやら、自分の「オブジェクト型思考」と構造主義が非常に似ている。おそらく突き詰めると同じもので、でも目的が違うのだろう。あっちは理解、こっちは創造。オブジェクト指向プログラミングとも似ている。ただ適応レイヤーが違うあっちはプログラムで、こっちは思考。もっともプログラムも思考しながら考えるだろうから、こちらの方が広いのだけれど。

理想のスケジューラを考えていたら、ディスプレイに表示できる次元数の限界を感じてしまった。全ての情報をエンコード無しに見ようとすると、それそのものを見ることになる。それはまとめなんてものではなく、ただそれそのもの。冗長なコードも全て書き出す。ただのベタプログラミング。ただ、全ての情報なんて今のディスプレイに表示するのは不可能で。

おそらく未来的にも結構難しいだろう。さらには、人間の限界を超えていると思うし。おそらく、脳の拡張としてコンピュータに手伝ってもらっても難しいだろうし。さて困った。いや、困りはしないけど。

ディスプレイという不自由なキャンパス

ディスプレイは不自由だ。パソコンに繋がなければいけないし、そのまま画像を保存する事もできない。おる事も、ポケットにしまうことも難しい。解像度もたったこれだけしかない。色の深さもこれだけしかないし。不便で不便で仕様が無い。値段も高くて、100枚を買う事なんて出来ないし。とにかく不便だ。

まぁ、でも今回考えたい事は、ディスプレイに変わる新しいメディアではなく、ディスプレイの特性を生かした表現形式だ。ディスプレイの優れたところは、何度も書き換えが出来る事。アニメーションとか写せるよ。たしかにそれは便利ではあるけれど、それほど圧縮できる情報量は多くなくて、逆に圧縮しまくった小説とかの方が、よっぽど情報量が多いから困る。それに時系列で、制限されるのは本当にいやだ。なんせ、情報量が少ないうえにだらだらやられるから、こちらとしても溜まったものではない。

書き換えが出来るという事は、自己入力からのレスポンスによるフィードバックが可能であるというのが、ディスプレイの利点ではないだろうか。いまさらそんなこと言われてもという感じはしなくはないが、なんとなく使っている状態よりはましだ。ディスプレイの利点は、おそらくフィードバックが起こせる事だ。

表現する次元

レスポンスによるフィードバックを極めているのがゲーム業界である。あれは、ゲーム内のレスポンスのみでフィードバックによる自己成長を擬似的に起こし続けている。いや、すごいものだ。今のゲームによる表現はいくつかの次元に分けられる。

音:音響、音楽とエフェクト
色:画面によるフィードバック
2次元画面で擬似的に3次元を表現。絵と概念による認識により、色々な感情軸を動かす。
数値パラメータによる表現。言語認識による表現。

色々な要素を、一つの時空間に集めて物語として構成している。そして、計画されたフィードバックを心地よいものとして受け取られるように設計されている。あーそうだ。全部物語にしよう。それは、いいアイディアだと思うけど、今はおいておいて。

このゲームというシステムは、心地良いフィードバックを得られるためのフィードバック装置だ。同じようにシステムを組むとしたら、心地よいフィードバックを生成出来るようにできればいいのに。そう、画面に表示するようその数は限界がある。表にして2軸、色を使って3軸、数字を使って、タグを使ってとどんどん進めていくと、最後には無限軸となってしまう。さて、表現不可能だ。いや、表現する方法がある。

あぁ、それが検索だ。心理的基点を基にして、データを再構築したものが、「検索」というシステムだ。手間はかかるけど、便利である。そう、構造主義の果てはグーグルに行き着く。そしてグーグルは全ての価値観を認識を、表示順という数値化によって交換可能な価値に変えてしまう。おお、認識の通貨化だ。どおりでよく情報が回るわけだ。

検索される未来

検索は、過去に向かってなされる。将来的には現在、未来と進むだろう。ありうる状況にしたがって、あらかじめ検索、考察されている世界。転ばぬ先の杖、転べぬ先の杖というべきか。未来は、検索という占いによって再構築される。占いの結果によって、未来が変わるという皮肉。いや望みというべきか。

カオスの価値のつけ方は、リンクの数による価値付けだった。頭の中でもおそらく同じ。リンクが多ければ多いほど、それは価値が上がる。頭の中の価値と、貴方の利益になる価値とは別かもしれないが。

さて、今日は結局何が書きたかったのだろう。いつも以上にまとまりが無く、カオスだ。何の意味があるのか、意味が無いのか。マインドマップのさらに次を考えようとしたのだけど、うまくいかなかった。おそらく、マインドマップという汎用フォーマットではなく、何か目的のあるフレームワークになるはず。

なるほど、フレームワークこそが今回のユーザーインターフェイスの答えなのかも知れない。多次元化した後の帯域絞り、フォーマット、理解により全てを支配するということ。まぁ、もう少し考えてみるか。