問題は内因であるか外因であるか

ある問題が発生して、その問題が解けるかどうか?というのはどの部分に依存するのだろうか?

問題の因果は、結果から跡付けされる。その因果を何度も試行可能な状態で観測するようにしたのが科学で。しかし、心理学や人間関係、その他もろもろの状況は、何度も計測されるわけではない。同じ状態を作り出すのは不可能だ。

だからこそ、ある程度の母数を広げて、確率論的に沢山の数を作り推察する。そして、インターネットの神経を繋いでそれを共有し、それがある閾値を越えるとそれは「法則」として、共有されるようになる。

都市伝説や、文化的な語り伝えなどもこのような文化的閾値を超えることによって、文化に記憶される。インターネットの初期段階で、インターネットが地球を一つの脳とするというような推察をした人がいたはずだけれど。

電脳世界はどこにあるのか?

昔は電脳というのは、機械的なCPUとLANケーブルによる、ネットワークだと思っていた。今は、人を含めた思考システムなのだと思っている。進化したというのならば、進化したのだろう。

電脳は記憶する。神経が火花を散らし、新しくおきた出来事のうちに重要だと思われるもの、より感情を巻き起こすものをネットワークし記憶する。人間は感覚神経であり、電脳であり、物理層への外部インターフェイスである。

情報オブジェクトと擬似人格システム

電脳世界の中で動き回る単位は、情報オブジェクトと呼ばれる。いやよぶんだけど。plagger見たいな、情報アグリゲーター、フィルターを通りアウトプットをする。その一つとして「人間」を組み込んだ、ブログや掲示板などもある。

人間は単体でもある程度の情報を制御できる。例えばその一つに、擬似人格システムを複数保持が可能だ。擬似人格システムは、感情的環境、外的接続環境を保持する。つまり、WEBにより適応した擬似人格を形成することで、より拡張した電脳に適応する事が出来る。

おそらく、物理人間関係とは違う最適ポイントがあって、別の形の生態系が生まれるのだろう。そしてその活動結果は、全体で並列計算され物理世界に出力される。2chは、ブロゴスフィアは、SNSはそのように出力される。

近い未来には帯域を絞った擬似人格というのは当たり前に認知される事になるんだろうと思う。おそらくそれを保持できるような技術的なものが現れるはず。人格スイッチとか、実行時間の問題が解決するのならば、もっと才能を発揮できる。