単語は思考を規定する

あまり詳しくない人に説明する機会がたくさんあって、わかりやすい単語を、一般的な単語を使って話を、思考をするようになったら、何もアイディアもおもしろい考えも、思い浮かばなくなった。生きている魚をばらして、ここが目玉です、ここがエラですとやっているような気分。魚を説明し終わる頃には、魚は死んでいる。死んだ部品を寄せ集めて、これが魚ですという説明。こんな事をやっていると、本当に死んだものしか作れなくなる。

具体例は抽象化が終わりきってから

具体化した単語というのは、死んでいる。固定化されて、組み替えることが出来ない。一方、抽象化した単語というのは、不確定であることで、自由に組み替え可能である。だから、新しい物を作るときには徹底的な抽象化が必要だ。具体化なんて犬にでも食わせてやれ。

例えば、具体的な話。物語を考えるのに具体的な話をすれば、この文字を使ってこの形式を使って、作りましょうというのを、いくら詰めたところで、おもしろい小説は作れない。人物を、イメージを抽象化して新しい構造に組み替えるからこそ新しい物を作ることが出来る。

〜みたいなゲームを作ろうとして、そのゲームを超える物はどんなに力をお金を注いだとしても絶対に作ることが出来ない。それはとらわれてしまうから。1作目はよかったのに2作目は腐ってやがるみたいなときは、たいてい前作に縛られたとき。1作目を作り始めたときは、〜の様なゲームとか、そんなことはどうでもよかったはずなのに、2作目はそこに前例があるから、縛られてしまう。よくある話だが、ジャンルの創作者は、最初の一作目で既にメタジャンルまで網羅してしまうということだ。

そのジャンルを目指して書いた人は、その創造者を超えることは出来ない。抽象化の視点が低いから。

アイディアの殺し方

具体例で説明して、一般的な単語しか使わないで説明、製作を強要すれば一発死亡。楽勝。