自己能力と限界

努力が足りないとか、お前は馬鹿だとか。

どうも、一般的に標準である能力が欠けているようだ。得意分野については、3倍修正がつくんだけど、不得意分野については三分の1修正。得意分野と比べてということではなく、10倍近くの差があると自分でも思う。何せ、感覚が欠落しているとしか説明が付かないのだから、仕様がない。努力が足りないとか、元から馬鹿だとか言われたところで、わからない。
感覚がまだ存在するのだったら、それを補正だのしていけば、問題内範囲になると思う。でも欠けていた場合、全ての範囲に置いて「それはそういうものだ」と覚える必要がある。しかもそれを覚えたところで、そういう風に振る舞っているだけで、そこに意味は無かったりする。そういう風に思うとか感じるというのが無く、向こうがそういう風に思うから、そういう風に感じるからそうする。別に他人を気遣うのが嫌なわけではないが、なんか何をしているのかわからなくなる。

空気が読めないとか空気を読む気がないとか。

空気は読めない。これは絶望的に読めない。1対1の対話は可能だ。心の通う、話の通じる人と語り合うのは楽しいと思う。一方、多人数で複数の核弾頭の飛び交う会話は、たいてい聞き手に回る。はなせない。よくわからない。空気が読めない。言語化されない情報が理解出来ない訳ではない。でも、わからない。会話を全てテキストに起こしてテキストだけを読んでいるような物で。入力を共有出来ないから、出力が違うことになる。
何でこんな事がと他のひとが思うような事が出来ない。

振る舞いがカオスであるということ。

他の人からみると、自分の振るまいがわからないらしい。毎回違うことをする。昨日と今日で違うことを言う。自分の中では一貫性を持って動いているのだけど、それは理解をされない。話しても理解されない。圧倒的な断絶。理由は、入力系統の欠落、出力系統の混乱、さらに思考系統の飽きやすさにあるのだとわかってきたが。それを補うべく、色々考えてやってみたのだけど。普通にはなれない。普通になりたいというのは、昔からの願いだったりするのだけれど、難しい。

長所で戦えれば問題ないのだけれど、短所で戦わされるとどうしようもない。超えられる壁なのだろうか、超えられない壁なのだろうか。