世界は裏返し

私は空気が絶望的に読めない。読まないじゃなくて読めない。
そして思うのは、他の人と自我の形態がちがうんだなーと思う。自分にとって一人一人違うというのは、あまりに当たり前すぎて、そりゃ違うじゃんとか思うけど、他の人はそうではないらしく、自分を特別だと思ってんじゃねーみたいなことをいわれたりする。いや、みんな違うじゃんと思うわけだけど。まーなんかよくわからない空気で、そういうような情報をつたえてしまったのだろう。俺特別で、他の人は普通と。普通っていいじゃん。どちらかというと最高じゃん。

なんというか、日本というのは空気的なコミュニケーションがメインだったりして、空気の読めない人は、よくわからない対空爆弾で爆撃されるわけです。数は力とはよく言ったものです。そんなわけで、自分みたいな極度に偏った人というのは、基本的には自分の特性を使えなければだめだめ人間なわけです。でも都合のよく、そんな場所に常にいるわけではないので、なんとかしたいと思いつつも、基本的にはわけがわからない情報通信で通信されているので、わけがわからない。

わけがわからないことを、わかる人に説明しようとしても、できないからできないとしk言いようが無い。本当にわからないからわからない。というのがわかってもらえない。というか、なんか話しているうちに、自我の形態が違うんだなと思ってきた。

すれ違うこだわり

私は、正しさとか優れているとか、情報のものに価値を置く。それはおそらく非言語系のコミュニケーションが理解できないからなんだろうけど。2チャンネルは、情報から対人属性をはずすことで(つまり名無し)情報のやり取りを密に行えるようにしたんだそうだ。2チャンネルでは、あいさつとか対人関係を保つためのコストを使わない、そのコストがそのままよりよい情報をもたらすか、抽出するためにつかわれる。自分も、同じように基本的には客観と主観が存在しない。それはより正しくルール(この宇宙)にしたがっているかどうか?という話をもっとも大事にしたりする。

そんなわけで、誰がしゃべったからどうとか、誰の意見だからどうとかそんなことはどうでもいいと思っている。面白いものは面白いし、つまらないのはつまらない。ただそれだけなんだけど、どうも他の人は違うらしい。自分と他人があって、正しさよりもその前提条件たとえば誰がとかどうとかが重要視される。むしろそれでふるいにかけているようだ。こっちからみると、それがおもしろいのって思うけど、向こうから見ると何そんなことに熱くなってんの?それよりもっと仲良くなろうぜ。いや、俺はもっと面白いものが作りたいんだってとなる。完全な行き違い、どこまでいったってうまくいくわけが無い。

根本の価値観が違うんだから。
そんなことをいったら、「はっ」って鼻で笑われて「なんだ全然変わりないじゃん」みたいなことを言われた。なんか無償に腹が立ったんだけど、それには「違うということ」価値観の違いを認めないということと、相手を尊重するつもりがないんだなーと思った。まぁいろいろ経緯があるわけでそうなったわけだけど。違うものは仕方ないんだけどな。「人間関係の仲の良さ」と「情報の面白さ」という根本の価値観の違いだと思うんだけどね。ああ、俺は普通になれそうにないや。つまらなさに耐えられない。(注/人間関係がつまらないとかじゃなくて、価値観のもたらすものね)

人は違うのですよ。