この世界で最強の力は「気づき」だ。

触手メソッド

この前のエントリーを書いた後に、これはいいと教えてもらったもの。それが「触手メソッド」だった。これは、すごい威力だった。たったこれだけでと思うんだけど本当に効果がありすぎてびっくりした。目的は、円滑なコミュニケーション。やり方は本当に簡単。これだけで、あなたも自然にコミュニケーションが取れる。

触手メソッド
  • 自分から、うにょっと両手が伸びて、対象の両肩に触れる様子をできるだけリアルに想像する。

たったこれだけだ。仲良く話したい人が2人いるときは、手を四本出しましょう。4人いるときは8本出しましょう。想像力の限界になるまで、腕を伸ばすことができます。
威力が強すぎるので是非試して欲しい。逆に言うと、ソーシャルハッカーという人種は、こういうことをネイティブに行えるということだ。イメージ上に出していないかも知れないけれど、そういう心理的な状態を形成しているということなのだろう。

どうやら、この本にこの触手メソッドが載っているとのことなので、ついかっとなって読んでしまうと思う。

気づき

さて、コミュニケーションが普通に取れるようになった?ので、真の問題が明らかになったわけです。思考とか価値観ではなく、ただのコミュニケーション能力の不足ということです。それが第一でした。次に思ったのが自分というのは、他人の持つ「自分の知らない情報」に対して興味があるのであって、「他人の知らない情報」には興味がまったく無いということです。

どういう意味かといいますと、自分は基本的に情報至上主義なので、知らないこと興味のあることに関しては知ります。それは、知りたいから、知ることを抑えることはできません。喜んで質問して、理解します。理解して使えるようになって、自分の物になるようにします。だから、(興味があるもので)知らないということに対して、放置しておくというのが信じられません。びっくりして、死にそうなぐらいです。

でも他の人はどうやら、違うみたいなのです。「情報の新規性」ではなく、「情報の共有するという行為」に興味を持っているようなのです。これが一般的なコミュニケーションの原動力なのでしょう。しかし、自分は「共有」することには興味は無いのです。自分は(自分にとって)「価値のある」情報を手に入れる、または構築することにしか興味のない変態なのです。

こちらから見ると、向こう側の人間はやる気が無いように見えます。少なからず、興味のあることなのに「わからない」ことを放置しておくというのが信じられません。理解できなくてそのままにして、使うということが信じられません。定義なしてその言葉をしゃべるというのが信じられません。だから、わからないことを「自分が」察知して説明しやがれ!ということが信じられないのです。わからないのは自分ではなく、あなたなのにそれをもっと噛み砕いて教えやがれ!という風にしか見えないんです。自分は意味がわからない。何で、わからないことでこんなにえらそうなんだろうと思うわけです。これが、そちら側とぶつかる原因だということがわかりました。

どうやら他の人は、興味で自動的に学習が駆動されるということが無いらしい。学習は総じてつまらないもので、覚えるためには努力が必要だ。だから、教える側がきっちり教えないといけない。説明を全部して、さらにわからないところを「こちらが」聞いてちゃんと伝わったかどうかを管理しないといけないらしい。いや、びっくりです。

向こうから見ると、何でこの人は説明しないのかなー。ちゃんと伝えろよ、このやろう。お前が話し始めた話だろう。お前が説明しないでどうやってわかれというんだ!となるみたいです。まぁ、お互い異文化ですのでお互いを理解して、譲り合わないといきません。でも、こちらが一般的に悪いらしいので、譲るのはこちらだけのようです。常識で考えろとのことです。違うというだけだけど、数によって優劣ができてしまうんですね。

気づく

さて、さらに掘り下げてみましょう。
上記のとおりに、自分は説明する気がないのでいろいろぶち抜こうとおもいます。いや、長文過ぎたので次にでも書きましょう。そうしましょう。