なぜ民主主義は失敗するのか

久々にブログを書いてみようと思う。色々ですなまーちがあったり、なかったりした。色々作ったようなできたような気がした。

民主主義は間違える

「資本主義は、最低な方法だ。しかし、今のところ考えられる中では一番まともだ」という話が、あるが、民主主義もそんなに変わらない。民主主義というのは、必ず間違える。それは、人間の性能上の問題であって、それを超えるためには、ハイスペックな認識能力が必要となる。それは、人格というモデルを作ることで、人間の動きを予測しつつ自己の動きを決定できるようになったように、上位の組織格のモデルを認識し、予測し判定しながら、動くことができるようになる。

むしろ、その組織のモデル、入力、出力と内部構造、干渉構造、トレードオフなどがわかればさらによいし、組織の行く先にある問題点を探してみたり、別の道を探せたりしたらもっとすばらしい。というか、そういうのが見えないでどうやって動いていくのかわからない。しかしながら、組織が大きくなりすぎると何がどうなってこの結果ができたのか、そしてその結果が本当に正しいのか、この結果を信じることで何が起きるのかといった、計算要素が増えすぎて、計算ができなくなる。だから、信じたいところを信じて、とりあえず終わりにする。

30人の組織を考えたとしよう、4つの組織に中に分かれてさらにその中で3つに分ける。そういった組織構造だった場合、内部の人間が状況を把握するのが困難になる。さらに、小組織の外には、レポートしか出されなくてそれで内部状況を察知しようとすると、それはエスパーにしかできない。

これと同じことが1億3千万人で起きるのだ。データは出ているが膨大だ。さらにそれが正しいかはわからない。どんな意図がある団体が死ぬほどたくさんあり、さらに外国の思惑もあり、国際社会の状態もある。そんなときに、大学まで行ったとしても何が起きているかなんていうのは一部しかわからない。むしろ全体像は、非常にわかりにくく、脳内認識には入りづらいし、いろいろな認識方法がたくさんある。こうなるともう、一回り回って信じたいことを信じるだけで終わってしまう。

そうなると、全体像の見えている人なんていないから、正しく認識できている人なんてほんとに一握りというか、たぶん誰もいないことになる。そういう意見を統合して、何が起きているのかを統合してみても、当然うまく認識できてない人がほとんどだからうまくいかないわけで、当然うまくいかない。

というわけで、人間の認識スペック上の問題によって、民主主義は間違いを犯す構造になっている。それでも、ほんの一部の人間の暴走で、暴走する系よりはましなのですが。内部の人すべてが、状況を認識してどうすればいいのか議論ができれば最強の民主主義ができるけど、それを実現するためには天才レベルでもスペックが足りない。というわけで、組織系は間違いを犯すという話でした。