「幸せ」というのは状態ではなく、能力なのだろう

また少しだけまとまったので書いてみる。

幸せになるのは簡単

私は、幸せだ。ありとあらゆる幸運に恵まれて、周りの人に恵まれて、環境に恵まれていると感じる。それは、他の人に取っては、ささやかなものかもしれない。でも、私にとってはかけがえのないもので、非常に幸せである。

私が、こう考えるのは、1年前の地獄のような日々があったからだ。あれは、ただの地獄だった。今でも、冬の寒い時期に徹夜を繰り返して時間感覚が溶けて、貶されて、脅されて、裏切られて、毎日考えることが○○たい、●したいに変わって、希望も夢も何もかもが失われてしまった時期に、夕食を食べながら本を読んで、物語に没入することだけが楽しみだったことを思い出す。今では、それを笑えないけど笑い話にするだけの余裕と、仲間が存在することを幸せだと思う。

辛さは、臨場感をあげる

上のような経験をした後には、だいぶ感覚が変わってしまった。それは、普通のことが普通でないということを知ったということと、状況の下限がかなり下がったので相対的に常時幸せになったということだ。そして、思うのは幸せというのは状態ではなくて、それを感じることができる能力なのだろう。

常に順風満帆、やることなすこと全部うまくいく人は、果たして本当に幸せなのだろうかと考えると微妙だなとおもう。戦争経験世代が全然能力が違うというのは、その当たりのつらい経験が明らかに作用しているのだと思うし、最初から金持ちに生まれたひとというのが必ずしも幸せそうではないのはそういう意味なのだろう。

積極的に幸せに感じる能力を上げるのは、色々つらい体験をする必要があるので、大変だし正直おすすめできない。しかし、一度なると、他の人が大変だと思うこともたいしたことが無いように思えるし、どうでもいいことでくよくよすることが無くなる。引き替えにしたのは、色々なものだけど、それでもよかったと思えるのは幸せだよなと思う。