ゲームについての考察

ゲームとは?

ゲームとは、料理、音楽といった感覚器官に対しての最適化を行った結果と同じように、「思考、行動」に対してのフィードバックに最適化した形でのものである。それは、元来の遊びの目的、物事の概念化とそれに伴う将来の行動の予行演習といったものをはるかに超えて、現実よりも強いフィードバックを持ってしまったものだ。

それは現実よりも鮮やかで、現実よりも心地よく、現実よりもドラマチックで、現実よりも血みどろで、現実よりも人間らしく、動的な物語を提供してくれる。それなのに、これだけ進化した現代のゲームは面白くない。

前よりも、きれいに、前よりもドラマチックに、前よりもよい音楽を、よりよい予算と人数を使って、よりよいはずのものを見ても、やりたいと思わない。正直に言えば読書をしていたほうが楽しいくらいだと思っている。その理由は、時間単位で得られる情報の少なさと、その能動的にほとんどすべての感覚を没入させなければいけないという状況が重いのだろう。

今からつぎへ

昔は選択肢はなかったが、今はいくらでも時間をつぶすための選択肢がある。インターネットもそうだし、読書もそうだし、プログラミングもそうだ。そういう中で、あえて労力をかけてゲームをしたいと思えないのだ。それは、やりたい、やりたくない以前に生活スタイルが違うからという点において、選択肢に上らなくなってしまった。

時間の価値が上がりすぎてしまったため、時間を使いすぎるものに対しての価値が相対的に下がってしまった。動画とか、ほかに何もしない状態での音楽とかも、結構厳しい。情報を得られないのが厳しい、入力も出力もできないのが苦痛だ。PCから携帯でWEBを見たときのような印象を受ける。つまり、閉じすぎていて、場所や時間を縛りすぎるものになってしまったということだ。

もちろん、それは私が単に社会人になって時間が少なくなり、暇なときに100%の力を注ぎたいとも必ずしも考えないこともあるのだろう。まぁ、それ以前に何でも抽象化、自動化したいという願望を持った私にとって、遊びであっても繰り返すものというのは苦痛になってしまう。

だからといってゲームがしたくないというわけではない、生活スタイルに合うものがあって、今の状況を非破壊で居られるのならば、それはぜひやってみたいと思う。

というのが、ゲーム業界前の気持ちだったが、入ってみてもべつにそれは変わらなかった。
もう少し面白いところかと思ったけど、IT業界よりも硬くて流動性を感じなかった。それは人数が多いからというのもあるんだけれど。

なんか微妙に現在進行形な話はいいにくいな。