個性は記憶型に依存する

記憶型には欠点がある

記憶型というのは、頭の中でどんなふうな形式で記憶しているかということ。汎用的なよく使われているものとしては、論理型と、物語型がある。

それらをまとめてみるとこんな感じ。

記憶型 論理型 物語型
関係性 時間軸
メリット 抽象化,構造化,論理 自意識の構築,物語の構築,感情,言語,コミュニケーション
デメリット 時間軸が無い,自意識が生まれにくい,対人が苦手 抽象化ができない,論理が苦手
駆動 面白さ 感情

こうしてみるとわかるが、一般的な理系タイプと、文系タイプのそのままの特徴であることがわかる。
これは汎用的な記憶型ではあるが、当然ながらさらに他のタイプも存在するし、さらにそれを学習することも可能である。理系、文系で考えていることが全く違い理解できないということや、ある人が頭が良すぎて思考回路が違うといった、頭の差異の大きな割合はここに起因しているのではないかと私は考えている。

もしそうであるのならば、学習することによって、欠点を補填することや、頭がよくなること、さらには興味や能力を追加することも可能であるのではないかと考えられるだろう。

昔、私が考えていた「オブジェクト思考」といったものも、考え方というよりは、記憶型の拡張によって、理解力と創造力を強化するといったものだった。それは理解をした上で、フィルターを通して物事を見ることによって、新たにメタ情報を追加し、過去の情報についてもすべて再解釈をし直して脳内の論理記憶の再解釈を行ったものだった。それは、思考法でもなく、記憶法でもなく、なんと呼べば良いのかわからなかったが、記憶型を拡張したものだったのだ。正しく言えば、拡張構造記憶型思考法ということになるだろう。

次の拡張を目指して

実際にやってみると、メリットが大きいと考えていろいろ伝えようとしたのだが、今までに理解以上に進んだことがなかった。しかし、この記憶型の編集が、一般的なモノであるのならば(かなりな条件はあったものの理解と必要があればできるようだ)、この記憶型の移植も可能なのだと思う。

そして、そうなれば一般的ではない特殊記憶型の存在も、確かにあるのだと言うことがわかる。アスペルガー症候群や、ADHDサヴァンと呼ばれる得意な部分はひたすらに得意だけど、一般的に可能なことができないというような人々がいることが、記憶型の違いによって説明が可能になる。彼らは、特殊な記憶型を使っているために、感情、自意識といった要素が抜けており、そのために通常の人格の構築が非常に困難になっているということが予測できる。

しかし、記憶型は、学習は可能でそれがネイティブには勝てないにしても併用も可能なのだろう。こうして記憶に対する全体像が見えてくると、我々はものすごく記憶型に縛られているということがわかる。そうすると、我々が読んでいる個性や、人格や能力といったものは、果たしてあなた自身なのだろうか?それはただの記憶のフォーマットの余韻ではないとはっきり言えるだろうか。そして、人間というもの自体が、記憶型に依存しているのだとしたら、それの拡張や新しいものを作った場合それは、人間というものに対してどれくらいインパクトを与えるだろうか。数百年後の人間の定義が、今の人間の定義と全く違うものになっていたとしても私は驚かない。