自走できる人、できない人

ちょっと最近色々な人と話をしてみた感想。

どこまでを自分の許容とするか、どこまで組織の許容とするか

自分でどこまでも走って行ってしまい、周りの助けをあまり必要としない人がいるいっぽう、自分で走らず周りに期待をする人がいる。私は、前者で在りたいとおもっている。でも、組織の全ての人にそれを望むのは酷であるし、難しいと思う。

そこで経営者は、その人をどうするのかという話。教育する、ヤル気が出るところに再配置してみる、チェックを大変厳しくしてそもそも取らない、首にする(やりにくいことが大変に多いが)という選択肢が大体あるというか、多分順番にやる。3番目のそもそも取らないというのは後悔だ。

ただ世の中には、どうしても自走するひと、自走しない人がいる。その理由はなんなのか。そして彼らは何を考えているのか?たぶん、彼らが考えているのは、仕事はお金を得るために仕方なくやることで、残業なんてやりたくないし、ライフハックで楽にこなせるなら楽にこなしたいという感じなのだろう。いかに自分の出力を最低な状態で、最高の評価を得るかというのがその思考の最後にはやってくる。

なんか違う方向になってきたから戻す

ちょっと違うな。そういうひとは、もう仕方なくどうしようも無いだろうけど。そうじゃなくて、自走プロセスが欲しいけどが完成してない人には、それだけのやり方を教えることができるだろうか?それは例えば、教えてやって、褒めて、楽しさ面白さを伝え、理解させる。これならば自分で作ることができそうな目標を作らせて、作ってみて、失敗したら補助してやって、何回転かしてやったら、もしかしたら自走するかもしれない。

でも、私には創りたいという欲求がはっきりとあるけど、それが無い人も結構多い。そういう場合は、私には難しいというか、他人には無理なのだと考えてしまう、引き出すことができても、欲求を作ることは出来ない。そして、欲求の種類は人によって全然割合が違うと感じる。つまり、結論は、欲求のある人の助けることはできるけど、そもそもそうなりたくない人には、無理なのだろう。

欲求というものは、かなり根源的だ。私なら、幼稚園の時から何か作っていたし、小学校の時には「人間のような有機的なものが創りたい」と思っていた。母親に聞いても、小さい頃から兄弟間でもみんな違うようで、人によってそれぞれとしかいいようがない。そうなると、生まれつき欲求ベクトルが違うから、似ているような人を入れて、それが評価されるようなルールを構築し、ルールで駆動する組織を作るということが解となるだろう。

全然面白くないけど、その辺が今のところ妥当な解となる。もちろん、組織が大きくなるとそれも難しいのだろうけど。そうなるとどうすればいいのかな。