何よりも理念が大切だ

経営に必要なもの

今日は経営セミナーに行ってきた。ちょうど「経営理念について」だった。考えていたことなので、まさにぴったりだった。
やはり、自分の考えていることは正しいと思えた。それは経営理念こそが、経営のほとんどを占めているということだ。何を実現しようとするのかというのが、大切なのだ。それは、設計図を描くのが必要だというのと同じだ。ただ、それのレイヤーがモノと人間社会だという話だ。

何をしたいのか?どんな理念に従って、会社を作るか。そして、それにふさわしい人間になるということ。理念の共有と、徹底、優先度の確保。ああ、これが全てだ。素晴らしい理念と素晴らしい人間。それあれば、後はそれをどうやって実現するのかというのを、ひたすらにみんなで考える。みんなで実行する。お客様に喜んでもらって、自分たちも喜ぶ。

どうお金をもうけるかではなく、どう生きるかだ。あくどくお金を騙し取るのか、それとも理念に従ってお客様に喜んでもらえるか。報酬はお金ではなく、お金は手段でしかなく、報酬は喜びだ。喜びがお金に変わり、お金が人の働きに変わり、そして製品に変わり、お客様の喜びに変わる。そして、それを私たちは喜ぶ。そういう循環なのだ。ああ、仕事って素晴らしい。ただのお金とモノの循環ではない。経済学にはその部分が抜けている。

理念にふさわしい人間になる

なにより、自分がその理念を守り、理念に親しみ、ふさわしい人間になることが必要だ。心が燃えるような理念をみんなで決める。人に誇れるような理念を作る。それがスタートだ。それをしなければ、何をやったって、どんなに儲けたってそんなに意味などない。ただ儲けただけだ。それよりも、他の人が一緒に働きたくなるような理念を作り、実行する。そうする事で、会社が有名になれば、自然と優秀な人が集まり、ますます発展して、理念を実行できる。

お金で人は集まるが、お金に集まる人はお金が欲しくて働く。もちろんそれがだめといっているわけではない。お金は大切だ。それが無ければ回ることがない。でもその前に理念が必要だ。理念無き会社に人は集まらない。お金があるうちは回っても、無くなればそれで終わりだ。お金は懐柔は出来ても、尊敬を得ることは出来ない。お金に由来する力は、経済層にしか通用しない。精神層が満たされるような理念がない会社は、どんなに儲けたって精神的に深く満たされることが無い。

甘いと言われるかもしれない。若造がといわれるかもしれない。それでもいい。ただ、理念に従ってやるだけだ。やってみよう。やろう。やる。

ああ、作る段階、だんだんモノが見えてくる段階ほど楽しいことは無い。あらゆる知識と精神を使って、問題を解決していくのだ。そして全景が見えてくる。それは、最初に予想したものとぜんぜん違っている。同じものは達成する目的だけだ。ああ、生きよう。もっと素晴らしく、誇れるように。素晴らしい人間になろう。与えられる人間になろう。理念にふさわしい人間になろう。