動く=考える

「動く」の束縛

動けと言われても、考えないと動けないというのが自分のネックと指摘されたことは、前に言ったとおりだ。ようやく、その部分が少し改善したので書いてみようと思う。

今までの「思考する」というのは、頭の中だけで考えるものだった。つまり、その間外界からの情報を遮断して、考え込んでしまう。これが、自分がぼーっとしていると言われる所以だろう。だが、この1週間くらいで、少し改善、自分にとっては大きな一歩を踏み出せた。今までは動くということと、思考するということがまったく別の行動だった。しかも、同時に行うことは困難で、結果として遅くなってしまっていた。

しかし、仕事の時間制限、考えるだけではない普通の仕事をやることで、状況は変わった。以前の仕事はプログラムなど考えることが仕事だった。今は違う動くことがメインになった。そして、動いてみて気が付いたのは、「動く」ということも「思考」の一種であるということだ。自分が考えて行動するという順序でなくとも、「動く=考える」という拡張によって、解消することが出来たように思える。

その代償として、深い単純思考が殆ど必要なくなったというのも、興味深いことだ。拡張になれるまでもう少しかかるだろうが、慣れたら自分はようやく普通になれるのだろうか?そこも楽しみである。

なるほど、勘で動くような感じになるのだろうか、思考と行動のモジュール化を行うのだろう。
「勘=思考+行動+経験」
確かに勘で深いところまで探れるようになれば、素晴らしいだろう。